郡山の地名由来

奈良県の大和郡山市は金魚の養殖で有名な場所です。

大和郡山城跡は桜の名所として知られ、毎年春には数多くの観光客で賑わいます。桜よりも少し季節的に前にはなりますが、盆梅展なども見所の一つになっています。ところでこの郡山という地名ですが、その由来はどこに発するのでしょうか。

大和郡山の金魚

実は郡山という地名は、古代の郡役所「郡家(こおりのみやけ)」の所在した山のことだとされます。

そもそも郡(こおり)とは、国または県の下の地方区画のことを言います。

里・郷・町・村などを包括する地方区画のことであり、単に郡(ぐん)と言い表すこともあります。群家(こおりのみやけ)は、その郡司の役所ということになりますね。奈良県立郡山高校のことを群高(ぐんこう)と呼ぶことがありますが、奈良県民にとっては郡(こおり)も郡(ぐん)も、どちらも昔から聞き慣れた音の響きです。

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郡山の歴史

天正8年(1580)、筒井順慶が築城を始めた郡山。

大和郡山市筒井を本貫とする順慶が初めに築城し、その後豊臣秀吉の弟である秀長が大和・和泉・紀伊三国の大守として城を整備したと今に伝えられます。

大和郡山城跡

当時の秀長は200万石を領して郡山城に入封し、城下町を整備するに至りました。

近年になって天守閣跡の発掘調査が行われ、伝承通りに京都の二条城、さらには淀城へと天守閣が移築されたことが確認されています。

享保9年(1724)には、甲斐国より柳沢吉保の子・吉里が15万石をもって入り、明治維新まで大和国の経済や文化の中心地として栄えました。大和郡山市といえば、現在も京都や大阪に比較的アクセスしやすい場所にあります。奈良観光に訪れる旅行客にとっては、少し交通の便の悪い場所にあるのかもしれませんが、それはあくまでも東大寺や興福寺、奈良公園といった観光地を中心に考えるからであって、より広域に見るならば、大変位置的にも恵まれた場所にあると言えるでしょう。

大和郡山城跡

奈良時代には、平城宮朱雀大路を南下する羅城門に典薬寮(てんやくりょう)があり、その薬園(やくおん)のあった場所が今の材木町辺りで、現在はそこに薬園八幡神社が鎮座しています。

今も大和郡山市内には、紺屋町、塩町、北大工町、鍛冶町、雑穀町、豆腐町、藺町といった城下町特有の地名が残されています。難しい漢字のために一瞬戸惑うのですが、藺町とは畳に使われる藺草(いぐさ)のことですね。城下町での人の営みが頭に浮かんできます。

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