桃太郎伝説&板絵図の法楽寺@田原本町黒田

近鉄田原本線黒田駅近くにある法楽寺にお参りして来ました。

桃太郎ゆかりの地に建つ真言宗寺院の法楽寺。かつては25のお堂から成る大伽藍を有していましたが、今では地蔵堂のみが境内にポツリと佇んでいます。御本尊は子安地蔵菩薩立像で、地蔵堂の中尊として手厚く祀られていました。

法楽寺地蔵堂

田原本町法楽寺の地蔵堂。

お寺のご住職が快く招き入れて下さり、たくさんの仏像が安置される地蔵堂内へと入ります。子安地蔵尊と書かれた提灯や金色の天蓋が格天井に下がっていました。法楽寺の建つ場所は、孝霊天皇黒田盧戸宮(くろだのいほとのみや)跡地とされます。天皇のお宮跡ということもあってか、天皇家の象徴である十六菊花紋をあしらった幕が仏像前に掛けられています。

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室町時代の僧形地蔵菩薩坐像を祀る地蔵堂

地蔵堂内には本尊の子安地蔵尊の他にも、写実的な僧形地蔵菩薩坐像が祀られていました。

現在の地蔵堂はご住職の御婆様が建てられたそうで、そのご苦労には頭が下がる思いです。ご住職がこちらのお寺に来られた時からあったという弘法大師坐像なども見所の一つです。河童のようなお顔をしたお地蔵様や、御本尊前で扇子片手に舞を舞う若かりし日のご住職のお写真、さらには室町時代の墨書銘を持つ板絵図など、どれも法楽寺の歴史を物語る貴重な歴史財産です。

法楽寺の子安地蔵尊

僧形地蔵菩薩坐像。

像高40cmにも満たない室町時代の仏像です。

ふっくらとした体躯をなさっていますね。

法楽寺案内

地蔵堂前に法楽寺の沿革が案内されていました。

田原本御仏三十三カ所巡礼(やすらぎと歴史遺産を訪ねて)

第一番 黒田・天地山法楽寺 真言宗御室派
室町時代 僧形地蔵菩薩座像 像高39.1cm

法楽寺の歴史は飛鳥時代に遡ります。

飛鳥時代以降、様々な紆余曲折を経て現在に至っていることが分かります。

  • 飛鳥時代 聖徳太子開基 推古天皇より「黒田山磯掛本寺」の勅願(寺伝)
  • 奈良時代 元明天皇より 「黒田山法性護国王院」の寺号を給る
  • 平安時代 弘法大師が止住(弘仁年間 810~824)
  • 鎌倉時代 承元元年(1207)伽藍坊舎焼失
    貞応元年(1222)寛演阿者梨により再建
  • 室町時代 足利尊氏より式上・式下郡九ヶ村の寄進
    長禄3年(1459)法楽寺伽藍絵図板絵
    前期 僧形地蔵菩薩座像
    永正4年(1507)、享禄2年(1529)、天正5年(1577)筒井氏より寺領安堵状
    後期 梵鐘

今回私は県道14号線沿いにあるスーパーオークワに駐車して、徒歩で太子道を辿りました。

目的地を法楽寺と定めていたわけではなかったのですが、道標に誘われるように聖徳太子開基のお寺に辿り着きました。奈良県内には数多くの聖徳太子ゆかりの地がありますが、ここ法楽寺にも太子の足跡を見ることができます。

孝霊神社を経由して桃太郎伝説の法楽寺へアクセス

法楽寺への行き方ですが、近鉄田原本線の黒田駅から徒歩で向かうのが一番分かりやすいでしょう。

黒田駅からの所要時間は5分ほどです。法楽寺のすぐ東側には黒田大塚古墳もあり、歴史散策にもおすすめのコースとなっています。私は公共交通機関は使わずに、車と徒歩でアクセスしました。オークワに買い物ついでだったこともあり、のんびりと散歩を楽しみながらのお詣りでした。

法楽寺の道案内

右へ法楽寺・黒田大塚古墳、左方向へは宮古薬師堂・鏡作伊多神社を案内する道標。

ここから東へ向かえば、完形の馬形埴輪が出土したことで知られる笹鉾山古墳もあるようです。

オークワから国保中央病院を左手に見ながら北進すると、やがて左手に緑の杜が見えて参ります。その手前には池があり、池沿いの土手を歩きながら杜の中へと入って行きます。そこは第7代孝霊天皇を祀る孝霊神社の神域でした。神仏分離令の出される明治期までは法楽寺境内に鎮座していたお社です。桃太郎伝説のある田原本町ですが、この孝霊天皇の第三皇子に当たる吉備津彦命(きびつひこのみこと)が桃太郎のモデルになっています。

桃太郎生誕伝説地

法楽寺に到着しました。

桃から飛び出す桃太郎の看板がありました。

孝霊天皇の子である吉備津彦命は、山陽道を制圧した四道将軍の一人として伝えられます。崇神天皇の御代、弟の若日子建命(わかひこたけのみこと)と共に吉備国へ向かう使命を受けたのだそうです。鉄の文化を持っていた一族・温羅(うら)を征伐するために一行は出発したのですが、その時の随伴者には犬養部、猿養部、鳥養部の重臣がいたと云います。岡山の吉備津神社の矢置岩はその陣営とされ、桃太郎伝説を今に伝えています。

矢置岩は吉備津神社境内の巨岩で、吉備津彦が温羅との戦いの際に矢を置いた岩とされます。毎年正月3日には、空に向かって矢を放つ「矢立の神事」が執り行われているようです。

法楽寺駐車場

向こうに見えているのが地蔵堂で、その西側に広々とした駐車場がありました。

法楽寺にも吉備津神社のような巨岩が無いか見回してみたのですが、この岩があるのみでした(笑) なぜか意味深だったので、とりあえず撮影しておきます。

舗装こそされていませんが、大型観光バスも駐車できるスペースです。次回拝観する機会があれば、法楽寺の駐車場を利用させてもらおうと思います。表立った観光寺院ではありませんが、これだけの駐車場が完備されているとは驚きでした。さらにもう一つ付け加えておくなら、この駐車場のある場所はかつての孝霊神社だったのです。今は法楽寺から南東方向の少し離れた場所に鎮座していますが、元の場所はここだったのです。

法楽寺参道

駐車場から右手へ、正面参道に回り込みます。

参道の両脇には落葉が敷き詰められ、冬ごもりの準備が既に始まっていました。

法楽寺縁起

法楽寺の案内板。

当寺は、孝霊天皇黒田盧戸宮跡に建立され、聖徳太子開基にかかるものとされる。

真言宗御室派に属し、慶雲4年(707)には、元明天皇から「黒田山法性護国王院」の号を給い、弘仁年間(810~24)には弘法大師も止住したという。伽藍坊舎は承元元年(1207)残らず焼失したが、その後再建された。室町時代25宇を数えた盛時を伝える板絵図があるが、今は一堂を残すだけである。

童話の桃太郎は、古事記や日本書紀等からこのあたりが発祥であるとされる。

弘法大師空海が居住していたと書かれていますね。真言宗のお寺でありながら、孝霊天皇のお宮跡でもあり、さらには桃太郎伝説発祥の地と、実に盛沢山ですね(笑)

立派な伽藍を描く板絵図と弘法大師坐像

田原本町や磯城の里を案内する観光ガイド冊子は幾つかあります。

その中に掲載されていない見所もたくさんありましたので、ここにご報告致します。
法楽寺地蔵堂

法楽寺地蔵堂(本堂)。

二段構えの特徴的な屋根ですね。

鈴緒の先には室町時代後期の鰐口(わにぐち)が下がっています。

法楽寺伽藍配置

法楽寺に伝わる板絵図の写しでしょうか。

地蔵堂右手に掲げられていました。

長禄3年(1459)の墨書銘を持つ板絵には、坊舎二十五宇の壮大な伽藍が描かれています。山門を入ってすぐに地蔵堂があり、その左手には孝霊神社、右手には黒田大塚古墳が描かれています。本堂、鐘楼、多宝塔、それに弘法大師御影堂などの建物もあったことがうかがえます。

法楽寺地蔵堂

地蔵堂に近づきます。

立派な彫刻の蟇股ですね。

ご住職によれば、蟇股の下に渡された横木は歴史の荒波に揉まれながらも、かろうじて残されていた部分なんだそうです。その先には木鼻(象鼻)が彫られていますが、法楽寺の生き証人といったところでしょうか。

法楽寺地蔵堂の木鼻

地蔵堂の木鼻。

その他にも室町後期の梵鐘、平安時代の古瓦など、各所に法楽寺の歴史を偲ばせるものが残されています。

子安地蔵

法楽寺子安地蔵。

子安地蔵尊の年代は詳らかではありませんが、かなり古いものと推定されています。

今も安産祈願、学業成就のお地蔵様として信奉を集めています。ご住職に頂いた法楽寺縁起には、「一刀三躰の地蔵尊」と記されています。どのようなお姿をなさっているのでしょうか?本堂内でお参りさせてもらったのですが、御本尊の御前には垂れ幕が掛かっており、そのお姿をよく拝見することができませんでした。

法楽寺地蔵堂

大きな鉦ですね。

この鉦も相当古いもののようです。

法楽寺住職の写真

ご住職の若き日のお写真。

法楽寺の御本尊前で舞を披露なさっていますね。かつては高野山で修行をなさっていたこともあるようです。

法楽寺宝物

かつての地蔵堂でしょうか。

黒く煤けているところを見ると、かろうじて焼失を免れたのかもしれません。サイズにすれば小さいものですので、いざとなれば持って逃げることも出来たのでしょう。手前のご尊像も煤けていますが、御本尊の子安地蔵菩薩立像を彫ったものだそうです。

博物館などからも展示の依頼があるようなのですが、丁重にお断りをされているとのこと。ご自身のお寺で、長い間大切に守り続けていらっしゃるようです。頭が下がりますね。

法楽寺弘法大師坐像

御本尊の背後に祀られていた弘法大師坐像。

空海も居住していたという法楽寺。

仏教界のスーパースターの歴史を伝えるご尊像ですね。写真撮影の許可を頂き、撮らせて頂きました。この仏像は文化財の修理をする所に出されていたようです。心なしか右手首の位置に違和感を覚えますが、全体的に古色蒼然としていて渋い印象を受けます。

南無遍照金剛

その背後には、真言宗の御宝号(ごほうごう)「南無大師遍照金剛」の掛軸が掛かっていました。

お経が細かく書かれているのでしょうか、白抜きで御宝号だけが浮かび上がります。

法楽寺弘法大師坐像

法楽寺の歴史を伝える貴重な像ですね。

おそらく手には何かを持っていらっしゃったのでしょう、持物を差し込むような空間が見られます。

法楽寺歴代住職の位牌

その横には、歴代ご住職の御位牌が並びます。

法楽寺の歴史を辿れば、元正元年(1573)の6月28日に、松永久秀と筒井順慶との間に起こった合戦で伽藍が焼失していることが分かります。その後、筒井順慶が再建しているそうですが、お寺と戦火とは切っても切れない関係のようですね。

法楽寺地蔵堂の軒丸瓦

地蔵堂の軒丸瓦。

「法楽寺」と刻まれています。ご住職のお話では、この軒丸瓦もかなり古いもののようです。

法楽寺地蔵堂の天蓋

そう言えば、箸墓古墳に葬られているという倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)も孝霊天皇の御子の一人です。あまりに長い名前なので、私の住む三輪周辺では「モモソヒメ」と呼んでいます。大物主神の神託を受けた巫女とされますが、桃太郎のモデルになった吉備津彦命の姉に当たる人物だったのですね。

法楽寺鐘楼

地蔵堂の手前右側にあった鐘楼。

この梵鐘は無銘ではありますが、室町後期のものとされ、かつての法楽寺最盛期を偲ばせます。

法楽寺板絵図

法楽寺板絵図

かつての法楽寺伽藍坊院の絵図です。ガラスにご住職が映り込んでしまっています(笑) 光の当たり具合で、上手に撮影することができませんでした。

法楽寺と孝霊神社

まぁ、こんな感じでしょうか。

孝霊神社がはっきりと法楽寺境内に描かれています。

田原本町の黒田と言えば、かつてはほぼ法楽寺の境内だったようです。黒田と言えば法楽寺、法楽寺と言えば黒田だったのですね。そのぐらいの寺域を誇っていたということに改めて気付かされました。

法楽寺参道

参道が真っ直ぐに地蔵堂へ続いています。

地蔵堂、地蔵堂と言っていますが、要するに法楽寺の現本堂です。

桃太郎伝説発祥の地

日本一の桃印の旗を手に、鬼ヶ島へ鬼退治に向かう桃太郎。

ここ法楽寺は桃太郎伝説発祥の地です。

最後になりましたが、拝観の際に頂いた「法楽寺縁起」より重要な個所を抜粋致します。

聖徳太子橘寺より法隆寺へ日毎、黒田を通ひ給ふ毎に西辺に紫雲たなびき故に太子不思議の紫雲なりとて当寺を尋ね来り、社の内に本像三躰を聖徳太子御拝し此の三躰霊像は中尊は孝霊天皇、左に座し奉はるは孝元天皇、右に座し奉はるは考安天皇の霊像、此の霊像故に紫雲なると歓喜の思をなし、此地に伽藍を建立すべしとて孝霊天皇の本地仏、虚空蔵と定め金堂の本尊に安置し給ふ、講堂には一刀三躰の地蔵尊を刻み本尊とし追々伽藍建立ありし霊場の地に当寺の大寺となる。

この縁起によれば、今の御本尊はかつての講堂に祀られていたようですね。

法楽寺から徒歩圏内には、重要文化財の薬師如来坐像が安置される宮古薬師堂などもあります。磯城の里は歴史散策におすすめの場所です。さぁ、あなたも田原本町界隈へおでかけしてみましょう!

<法楽寺の拝観案内>

  • 住所  :奈良県磯城郡田原本町黒田360
  • 拝観時間:境内自由 地蔵堂内は要連絡
  • アクセス:近鉄田原本線黒田駅下車、西へ300m

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