太子道に鎮座する孝霊神社

桃太郎伝説の残る法楽寺の鎮守社を訪れて参りました。

かつては法楽寺境内に鎮座していましたが、明治期の神仏分離で今の地に遷座しています。その孝霊神社には孝霊天皇が祀られています。欠史八代の内の一人ですが、境内にはピント張り詰めた空気が満ち満ちていました。

孝霊神社拝殿

孝霊神社の拝殿。

典型的な岡崎型狛犬が配されています。向かって右側の阿形狛犬は、左肢下に玉を置きます。それに対し、左手の吽形は右肢下に子供を置く子取り狛犬のスタイルです。周囲は緑に囲まれ、隔離された独特な雰囲気が漂います。

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黒田廬戸宮伝承地の廬戸神社

孝霊神社の別名を「廬戸(いおと)神社」と言います。

ここは第7代孝霊天皇のお宮があった場所と伝わります。とても難しい字を書きますよね・・・「廬」とは要するに「庵(いおり、あん)」のことで僧侶や風流人が住まう質素な仮屋のことを意味しています。あるいは軍隊が一時宿る軍営を指すこともあり、実際に孝霊天皇がお住いになられた場所ではないかと思われます。

孝霊神社鳥居

孝霊神社の鳥居。

太子道に東面する格好で鳥居や拝殿が建っています。道路から一段高い所に境内が広がり、石段の両脇には綺麗に整備された植え込みがありました。

明治の廃仏毀釈、神仏分離の荒波は孝霊神社にも及んでいたようで、旧社地の法楽寺境内からこの地に遷座した歴史が伝えられます。そのため、現社地は厳密に言えば黒田廬戸宮跡ではありません。明和7年(1770)の銘を持つ石灯籠一対が境内隅に残されており、廬戸神社の歴史を今に伝えています。

孝霊天皇が崩御した後は、橿原市見瀬町周辺の軽境原宮(かるのさかいはらのみや)に遷都しています。軽境原宮は第8代孝元天皇のお宮で、今も近鉄岡寺駅近くに「軽境原宮跡伝承地石碑」を見ることができます。

孝霊神社案内板

旧城下郡 黒田 孝霊神社の解説パネル。

旧村社 祭神 孝霊天皇 境内社 稲荷神社(祭神 保食神) 荒神神社(祭神 火産霊命)

孝霊神社は、法楽寺境内西側に氏神社として孝霊天王、弁天、荒神が祀られていたが、明治2年(1869)の「申請状之事」文書が、黒田村から法楽寺に出され、先例通り村の氏神社として引き継がれ、現在地に遷座した。

法楽寺境内に神社の在った状況は、法楽寺伽藍坊院図板絵(長禄3年・1459)に法楽寺境内西側に、東面して東西南北が塀に囲まれ東・南に門が開かれ、一段基壇の上に、三殿が南北に並列鎮座していた。

黒田村の氏神として信奉される神社で、明治初期に現在地に遷座していることが記されます。

欠史八代に名を連ねる孝霊天皇はその実在に疑問符がつきまといますが、こうやってゆかりの地に神社が建っているだけでも信憑性が増してきます。

孝霊神社へ徒歩でアクセス

この日は県道14号線沿いのスーパーオークワに車を停めて、徒歩で太子道ウォーキングを楽しんでいました。

京奈和自動車道(橿原バイパス)の下を潜って東方へと出ます。田園風景の広がる道をしばらく進むと、太子道や法楽寺を案内する道標に行き当たりました。

太子道の道標

左方向の北へ進めば、法楽寺方面のようです。

真っ直ぐ東へ向かえば、鏡作伊多神社、羽子田遺跡へアクセスします。つい先ほど鏡作伊多神社を見学してきたばかりだったので、ここは迷わず左折します。

太子道沿いの地蔵堂

太子道の角に地蔵堂が建っていました。

道の辻々に立ち続けるお地蔵様を見ると、誰しも心が和らぎますよね。昔からその土地のポイントになる場所に祀られ、地域を守って来た歴史があります。お堂前には車除けのガードも見られました。

太子道の地蔵

舟形光背に中肉彫りにされています。

通常前掛けは赤い色が多いのですが、こちらの地蔵石仏は白っぽいものを召されています。頭上には梵字が刻まれ、右手には錫杖を持ちます。向かって右側の脇侍石仏の御顔が気になりますね。信仰心の深さ故なのか、摩耗して表情がよく分かりません。

太子道の地蔵石像

頭上の種字は何を表しているのでしょうか。

全体的に丸みを帯びた柔らかい表情のお地蔵様ですね。

地蔵堂で手を合わせた後、そのまま太子道を北へ辿ります。しばらくすると、左手に黒田池と孝霊神社の社叢が見えて参りました。

孝霊神社

フェンス越しの黒田池と孝霊神社(廬戸神社)。

奈良県内で鬱蒼と生い茂る杜を見れば、それは古墳か神社かどちらかの可能性が大です。至る所に古墳があり、様々な伝承を持つ神社が鎮座しています。

孝霊神社の狛犬

拝殿前の子取り狛犬。

子取り狛犬のほとんどが、向かって左側の吽形の狛犬ではないでしょうか。

耳成山麓の山之坊山口神社でも、同じような配置の狛犬を目にしています。確か桜井市の等彌神社でもそうだったかなぁと、過去の記憶をたどります。吽形の狛犬の右肢下に、ちょこんと居座る子供の狛犬・・・どうやらこれが定番のスタイルのようです。

孝霊神社の子取り狛犬

かわいいですよね。

邪悪なものの侵入を防ぐ役割があるものと思われますが、子供の狛犬には愛嬌が感じられます。

孝霊神社由緒

孝霊神社の案内板。

御祭神と御脇立の名前が列記されていますね。

孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊おおやまとねこひこふとにのみこと)、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、彦五十狭彦命(ひこいさせりひこのみこと)、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)・・・。

ここで注目すべきは吉備津彦命ですね。桃太郎伝説のモデルになったという神様です。田原本町の町おこしにに一役買っている神様の名前ぐらいは覚えておかないといけませんね。ちなみに吉備津彦命は孝霊天皇の第三皇子に当たります。

孝霊神社の石碑

鳥居脇には何かの石碑が建立されていました。

この板碑の背後には、水をたたえる黒田池が控えています。

孝霊神社の石燈籠

鳥居の左上から太陽光が差し込みます。

まるで後光のようです、”天皇のお宮伝承地” ということで神々しさを感じました。

孝霊神社の遥拝所

大神宮の石燈籠。

注連縄に紙垂が下がり、境内遥拝所には結界が張られていました。

孝霊神社本殿

孝霊神社本殿。

拝殿の後方に本殿が祀られていますが、横に回り込む場所を見つけることができませんでした。よって解説パネルの写真を拝借しています。本殿は春日造で銅板葺のようです。

法楽寺境内図

法楽寺伽藍坊院図板絵。

今も法楽寺の地蔵堂内に収蔵される板絵ですね。

かつての孝霊神社の所在地がはっきりと分かります。法楽寺の多宝塔もすぐ近くに建っていたようです。

黒田池築造絵馬

明治21年黒田池築造絵馬。

多くの人の力によって黒田池が造られたのでしょうか。孝霊神社の歴史を物語る興味深い絵馬です。

孝霊神社の阿形狛犬

阿形の狛犬。

スタンダードな玉取り狛犬ですね。

孝霊神社から望む橿原バイパス

鳥居を背に東方を望みます。

郡山方面へ向かう京奈和自動車道(橿原バイパス)が見えます。南へ取れば、橿原北IC、高田バイパス方面へと至ります。奈良県内にも便利なバイパスがあちこちに通り始めていますね。

黒田盧戸宮

黒田廬戸宮(くろだいおとのみや)と記されます。

孝霊神社からさらに北へ行けば、前方後円墳の黒田大塚古墳があります。法楽寺伽藍坊院図板絵にも描かれる古墳で、墳丘に登ることもできます。孝霊神社は近鉄黒田駅にも近く、行き方に迷うこともないでしょう。孝霊神社から西へ、飛鳥川を越えた辺りには但馬杵築神社が鎮座しています。あるいはこのまま太子道を北西へ辿って行けば、おかげ踊り絵馬の伴堂杵築神社に辿り着きます。さらにその先には忍性菩薩御誕生之地石碑、屏風杵築神社と見所にあふれた歴史スポットが続きます。

孝霊神社

鳥居前には巨木が立っていました。

わずかに残る紅葉が幹の隅っこを彩ります。

聖徳太子の通勤ロードと伝わる太子道。その道沿いに、歴史を感じさせる古社・孝霊神社が佇んでいました。

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