祇園祭後祭の鯉山

祇園祭で賑わう京都。

後祭巡行前のとある一日、京都市街の山鉾建てを見学して参りました。

祇園祭ということで、まずは八坂神社へ向かいます。京阪祇園四条駅から四条通沿いの商店街を歩いていると、急に雨脚が激しくなって参りました。しばらく雨宿りしてから八坂神社境内を巡り、参拝受付所で祇園祭の小冊子を手にします。祇園祭の山鉾が八坂神社より西の京都市街に置かれていることを確認し、その足で来た道を引き返します。

鯉山

室町通六角下ル鯉山町に鎮まる「鯉山」。

八坂神社御旅所を左手に見ながら西へ進み、四条烏丸の交差点に出ます。そこからさらに西へ進み、室町通を右折して北へ取ります。東西に走る錦小路通、蛸薬師通を超えて北へと向かいます。蛸薬師通を横切った辺りから行く手前方に鯉山が見えて参りました。

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立身出世の登龍門を表す鯉山

鯉山に託された願いは出世開運・難関突破です。

鯉が滝を登って行くという、日本人なら誰もが知る故事にちなんでいます。

龍門の滝を登る鯉の雄姿は、立身出世を願う人々のシンボルでもあります。鯉山は昔、「龍門の滝山」と呼ばれていました。中国黄河上流にあるという激流の龍門。その難所を鯉が登りきると、めでたく龍になって祀られたと伝えられます。男の子の成長を願う鯉のぼりも、正しくこの故事に起源を持ちます。

鯉山

祇園祭の後祭巡行に備える鯉山。

細い道路のど真ん中に鯉山が待機していました。

さすがは祇園祭、交通の利便性よりも祭事が優先されているようです。

この後、鯉山以外にも橋弁慶山、北観音山、役行者山、八幡山、鈴鹿山、南観音山、黒主山、浄妙山、大船鉾と、後祭の巡行が予定されている山鉾を参観して回ったのですが、その大体の山鉾が道路の真ん中に陣取っていました。道路脇のわずかなスペースを行き交う車の姿を見て、京都が持つ伝統の深さに感じ入った次第です。

八坂神社御旅所

八坂神社御旅所の神輿

八坂神社の神輿は三基あります。それぞれにフォルムが異なり、六角・四角・八角と特徴ある形をしています。主祭神の素戔嗚尊(スサノオノミコト)を奉斎する神輿は六角形で、その屋根には鳳凰が飾られています。

人通りの激しいアーケード商店街の中にある御旅所。地元の人や観光客の往来が続き、御旅所周辺は大変な賑わいでした。

7月24日に後祭の山鉾巡行が催されますが、八坂神社の神輿はちょうどその日までここに奉安されています。御旅所にある三基の神輿は、24日の午後5時頃に御旅所を出発して八坂神社まで渡御します。八坂神社に帰り着いた後、還幸祭(かんこうさい)の祭典が執り行われるという流れです。

鯉山のスタンプ

鯉山のスタンプ。

縦横間違えて押してしまったようです(笑)

見るからに勇ましい鯉の姿が描かれています。鯉はプロ野球・広島東洋カープのシンボルでもあるわけですが、やはり赤い色がよく似合いますね。

鯉山の酒樽

酒樽も奉納されていました。

結婚披露宴会場でもよく目にする四斗樽ですが、お祝いの場にはうってつけです。

押し間違えてしまったスタンプですが(笑)、「後祭十ケ町集印ご利益めぐり」と題して全10基の山鉾の朱印を集めて記念の手拭いを頂くという企画でした。時折雨の降る中、なんとか限定2,000枚(先着順)のプレゼント企画に間に合いました。無事にゲットした後祭巡行記念手拭は、今も大切に戸棚に保管しています。

鯉山の真松

マンションの目の前に山鉾が陣取ります。

祇園祭のニュースなどでも山鉾、山鉾と言っていますが、鉾と山の2種類に分かれていることを改めて確認しておきましょう。ちなみに鯉山は鉾ではなく、山に分類されます。パッと見では山の方が寸胴タイプで、天に伸びる鉾頭の付いた鉾はノッポさんタイプといったところでしょうか。

写真でも分かるように、山には真松という松の木が付いているのが特徴です。

鯉山の瓦

鯉山の瓦。

動きのある波頭がデザインされ、その瓦にも勢いが感じられます。

鯉山の案内板

鯉山の案内板がありました。

「鯉山」

山の上に大きな鯉が跳躍しており、龍門の滝をのぼる鯉の雄姿をあらわしている。この滝を鯉が登りきると龍になるという中国の伝説があり、「登龍門」の語源となった。

前面に朱塗の鳥居を立て、山の奥には朱塗の小さな祠を安置し素戔嗚尊を祀る。その脇から下がる白麻緒は滝に見立てられ、欄縁その他の金具はすべて波涛文様に統一されている。山を飾る前懸、胴懸二枚、水引二枚、見送は十六世紀にベルギーのブリュッセルで製作された一枚の毛綴(タペストリー)を裁断して用いたもので、重要文化財に指定されている。最近、ベルギー王室美術歴史博物館の調査により、その図柄はギリシアの詩人ホメロスの作「イーリアス」物語の一場面で、トロイヤのプリアモス王とその后へカベーを描いたものといわれており、現在巡行の時には復元新調品を用いている。別に旧胴懸としてインド更紗のものもある。

京都市

鯉山の祠の中にもスサノオノミコトが祀られているようです。

重要文化財のタペストリーもまた、鯉山を象徴する逸品として知られています。

鯉山の提灯

鯉山の提灯。

提灯の紋は八坂神社の神紋ですね。胡瓜の切り口に似ていると言われる八坂神社の神紋。そのためか、祇園祭期間中には胡瓜を食べない風習があるようです。

夏祭りの露店でよく見かける胡瓜の丸かじり。”夏に胡瓜” は医学的に見ても理に適っているように思えるのですが、京都の人は身を清める潔斎の意味もあって、7月の間は胡瓜を口にしません。

鯉山の入口

鯉山の建物の入口。

京都ならではの奥行きのある町家です。

鯉山の提灯

雨のためか、提灯にもビニール袋が被せられています。

電線と山鉾の風景は、祇園祭ならではの不思議な風情を醸します。

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鯉山タペストリー伝来の謎

鯉山は室町時代の狂言に登場するなどして、人気の舁き山(かきやま)として伝えられてきました。

昨年度から再開された祇園祭の後祭。

昭和41年から平成25年までの48年間は、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)が合同で7月17日に巡行されていたと言いますから、今回私が後祭の山鉾を参観できたのも幸運だったということになりますね。

鯉山の拝観受付

鯉山の建物の中へと入って行きます。

受付のような場所が設けられ、数人の係りの方の姿が見えました。

鯉山

鳥居の横にタペストリーが飾られています。

鯉山のタペストリーは、伊達政宗の命により慶長遣欧使節としてヨーロッパに渡った支倉常長がローマ方法に謁見した際に贈られた5枚の中の1枚ではないかと伝わります。鯉山には、1790年頃「奥州の天寧寺から京の寺町頭の天寧寺を経て売り込まれた」との言い伝えが残されているそうです。

鯉山

鳥居左横に祀られる鯉。

江戸時代の名工・左甚五郎作と伝えられる木彫りの鯉です。

胸鰭を横に広げて瀧を登る姿は、泳いでいると言うよりは飛行していると表現した方がいいかもしれません。鱗もくっきりと浮き上がり、その生命力に満ちたパワーを表しているようです。

参観受付所では、登龍門の鯉に因んで立身出世のお守りが授与されていました。

鯉山のタペストリー

鯉山の山全体を飾る前懸、胴懸、水引、見送は「イーリアス」トロイア戦争物語の場面を描いた16世紀のベルギー製で、全て重要文化財に指定されています。

今から約200年前に鯉山を飾るために購入されたタペストリー。

そのタペストリーは鯉山の山組のサイズに合わせて9枚に切り分けられたと言います。生地が分厚かったために大工のノミで押し切られたと伝えられます。

鯉山のタペストリー

海を渡って遥か日本まで辿り着いた鯉山のタペストリー。

タペストリーの謎を探る内に、その一端から「B.B」の文字が発見されたそうです。タペストリーの製造場所を示しており、ブラバン・ブリュッセル(現在はベルギーの首都)であることが分かりました。ベルギー王立美術歴史博物館の調査によって、織工職人のニケイズ・アエルツによって1575年~1620年の期間に織られた5枚連作の1枚であることが判明します。

タペストリーに描かれた絵の場面は、紀元前に活躍したギリシャの詩人ホメロスによって書かれた長編叙事詩「イーリアス(トロイ戦争物語)」のワンシーンだったのです。

八坂神社の門

八坂神社の西楼門。

7月24日の山鉾巡行を知らせる札が掛かっていました。

蘇民将来の木札

四条通沿いのお店の門前に吊るされた木札。

七難即滅、七福即生、蘇民将来子孫家と記されています。

茅の輪くぐりの由来とも重なる蘇民将来の逸話を思い出します。スサノオノミコトの恩返しとでも申しましょうか、この木札を掲げたお店には間違いなく福が訪れることでしょう。

鯉山の蔵

立派な蔵ですね。

中には何が収められているのでしょうか。

山鉾巡行ばかりに目が行きがちですが、祇園祭の見所は他にもたくさん用意されています。巡行当日でなくとも、こうやって山鉾を見学して回ることができるのです。ヒートアップして最高潮に達する瞬間も見逃せませんが、祭りの前の静けさの中でゆっくりと楽しむのもいいものです。

スタンプラリーのゲーム性も手伝い、後祭に参加する全ての山鉾を見学し終えることができました。

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