法隆寺小会式と磯長山の廟堂

法隆寺に聖霊院という建物があります。

法隆寺聖霊院

法隆寺聖霊院

鎌倉時代の1284年に建立された寝殿造りの国宝です。
秘仏の聖徳太子像(国宝)が納められています。

聖徳太子は旧暦の2月22日にお亡くなりになられたそうです。
今の暦でいえばひと月ずれることになりますので、聖徳太子の命日法要であるお会式は3月22日に執り行われます。

お会式にはたくさんの供え物が奉納され、法隆寺きっての一大イベントとなります。

聖徳太子は仏教を保護したことで知られますが、仏教の祖であるお釈迦様のことを思い出しました。
お釈迦様の命日は2月15日です。沙羅双樹の意味を解説する記事でもご案内致しましたよね。

2月22日の聖徳太子と1週間違いですね。

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聖徳太子像が公開される聖霊院お会式

聖徳太子

聖霊院(しょうりょういん)の入口に、ご本尊の「聖徳太子」の文字が掲げられていました。

毎年3月22日の午後1時より聖霊院で催される命日法要を小会式と呼んでいます。

10年に1度だけ大講堂に於いて催される法要を大会式といいます。

聖霊院のお会式では、秘仏の聖徳太子像が公開されますが、お供え物があまりに多くてはっきり見えないという噂もあります(笑)

お供え物として、お仏飯、重ね餅、ネコ耳、ネズミ耳、ケイピン、三輪そうめん、きんかん、青豆、ほおずき、ミズクワイ等々が用意されます。
きっと盛大な祭典なんでしょうね。
聖霊院は「法隆寺地域の仏教建築物」として世界遺産にも名を連ねています。

法隆寺の妻室

聖霊院の東側にある妻室も見所の一つです。

法隆寺の回廊の外側には、東西に東室と西室があります。
法隆寺の僧の住居である僧坊のことです。

その東室の南の部分が聖霊院として造り変えられたようです。

聖徳太子は自らの死の4年も前から、南河内の磯長山(しながやま)に自分の廟堂を準備しています。
果たして太子は死期を悟っていたのでしょうか?

五木寛之氏の「百寺巡礼」によれば、法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるためのお寺ではないかという仮説が見られます。
聖徳太子の最期はどのようなものだったのでしょうか。

今となっては歴史の闇のなかに消えてしまっていることですが、太子ファンの間でも興味は尽きませんよね。

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