桜井市高家の勧請縄

桜井市高家の勧請綱掛神事。

高家古墳群の盟主・長瀬藪1号墳の見学を終え、安倍方面へと下って行く途中、今まで何度も目にしたことのある ”結界” を発見致しました。あっ、あれは勧請縄だ!

高家の勧請縄

高家地区に張られる勧請縄。

反射的にそう思った私は、勧請縄の近くに車を停めました。ここは四方向に道が分かれる場所です。まさしく高家地区の要衝の地と言ってもいいでしょう。峠には地蔵石仏が立ち、集落の入口には勧請縄が掛けられています。昔の人々は流行病の侵入を恐れたと言います。疱瘡などはそのいい例でしょう。

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五穀豊穣や子孫繁栄を願う結界

勧請縄はなぜ掛け渡されるのか?

やはり邪悪なものの侵入を防ぐだめだと思われます。一種の魔除けであり、それが高じて日常生活の安泰を願うようになったのではないでしょうか。昔の人々の願い事は五穀豊穣と子孫繁栄に尽きるのです。

受験合格、恋愛成就、良縁祈願、商売繁盛、健康長寿などの願い事は、現代の成熟社会ならではのものなのかもしれません。もっと差し迫った、人間が生きていく上で根本的な願いが五穀豊穣・子孫繁栄なのではないでしょうか。

高家の勧請縄

お天道様の都合により、食べるものもままならなかった時代もあったでしょう。

子供が生まれても、医学の発展していない時代です。大切な我が子があの世に召されるのを黙って見ているしかなかった親の無念。そういった人々の根源的な願いが、この勧請縄には込められていたはずです。

高家の六地蔵

高家地区の峠に立つ六地蔵

よく見れば10体の地蔵が並んでいるのですが、右側の4体はどうやら後付けのようです。地獄に堕ちてしまった人々にさえ救いの手を差し伸べるというお地蔵様。その慈悲深さから多くの人々の心をとらえてきました。

峠に立つお地蔵様にも、勧請縄に似た役割があったものと思われます。

高家の綱掛神事

この辺りは下高家(しもたいえ)に当たります。

ここからさらに上手へ登って行くと、先ほどの六地蔵や高家春日神社、長瀬藪1号墳などがあります。奥深い高家エリアの入口付近に張られた結界です。

勧請縄の真ん中あたりに何かぶら下がっていますね。

高家の勧請縄

3つぶら下がっています。

何でしょう?神社などにもよく見られる榊でしょうか。

桜井市高家の結界

勧請縄で思い出すのが、国の無形民俗文化財にも指定される江包・大西のお綱まつりです。

お綱まつりも五穀豊穣と子孫繁栄を願う農耕神事に由来しています。旧暦正月10日に行われていましたが、現在は2月11日と決められています。桜井市の江包地区で雄綱を、大西地区では雌綱を作って会場となる素戔嗚神社で出合います。相まみえた雌雄のお綱が夫婦の契りを結び、祭りは最高潮に達します。

毎年2月11日は建国記念の日に当たり、世の中は祭日です。休日となればさすがに外出することもままならず、未だにお綱まつりをこの目で見たことがありません。祭事が終わった後も、境内でお綱を見学することはできるのですが、やはり本番を目の当たりにしたいですよね。

高家の勧請縄

眩しいばかりの太陽光が差し込みます。

まさしく後光ですね、ハレーション効果で勧請縄がより神々しく演出されます。

長瀬藪1号墳の横穴式石室

長瀬藪1号墳の横穴式石室。

今回の高家散策の目的は長瀬藪1号墳でした。その帰り際に、思わぬプレゼントを頂いたような気が致します。日本古来の風習っていいですよね。忘れ去られようとしているのかもしれませんが、どっこいこの地に息づいています。

明日香村稲渕の勧請綱掛神事はあまりにも有名ですが、桜井市内でも高家の他、谷、鹿路、針道、小夫(おぶ)、白河などで見ることができます。

比較的街なかの平野部に近いところで言えば、若櫻神社手前に谷の勧請縄が掛けられています。何も山深い場所に足を運ばなくとも、勧請縄は見ることができるのです。谷の勧請縄を初めて見上げた時、あれは一体何だろう?と不思議に思ったことがあります。郷土の歴史にまだ関心のない頃でした。それ以来、奈良県内の様々な歴史に触れるにつれ、勧請綱掛神事の意義も考えるようになりました。

毎年1月から2月にかけて各所で行われる綱掛神事は、日本の歴史に触れるいい機会ではないでしょうか。

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