村屋神社と壬申の乱

秋祭りの神楽舞で知られる村屋神社。

2月の御田祭り(御田植神事)や、上半期最後の6月30日に催される夏越し大祓い式も有名ですが、村屋神社と言えば、10月10日の秋祭り(本宮)が広く知られています。巫女が平神楽、榊の舞、扇の舞、剣の舞、矛の舞など、代々伝えられてきた神楽を舞います。

村屋神社本殿

村屋神社本殿の鳥居。

村屋神社の御祭神は三穂津姫命と大物主命で、三輪山に鎮まる大神神社の別宮と言われます。夫婦神を祀ることから、縁結びの神様としても篤い信奉を集めています。

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壬申の乱で神主に神憑り

村屋神社と天武天皇には深いつながりがあります。

日本書紀を紐解くと、壬申の乱に際し村屋神が大海人皇子に神託を与えたと記されています。村屋神が神主にのりうつり、「我が杜の中を敵が来る。社の中つ道を防げ」と大海人皇子方の大伴連吹負将軍に軍備に対する助言をしたと伝えられます。

中ツ道沿いにある村屋神社が重要な戦略拠点であったことがうかがえます。

村屋神社拝殿

村屋神社拝殿。

日本書紀によれば、村屋神社は壬申の乱の功績によって、神社として初めて天皇から位を賜ったと記されています。その後も何度か位を賜り、現在は「正一位森屋大明神」の呼称が残っています。

村屋神社の手水

「天武紀」元年七月条を引用させて頂きます。

又村屋神(むらやのかみ)、祝(はふり)に着(かか)りて曰はく、「今吾が社の中道(なかつみち)より、軍衆(いくさびとども)至らむ。故(かれ)、社の中道を塞(た)ふべし」といふ。故、未だ幾日(いくか)を経ずして、盧井造(いほゐのみやつこ)鯨(くぢら)が軍(いくさ)、中道より至る。時の人の曰はく、「即ち神教へたまへる辞(みことば)、是なり」といふ。

村屋神社の狛犬

拝殿前の狛犬の足に紐が結び付けられていました。

”止め事成就” を祈願する紐でしょうか。

村屋神社の幟

拝殿横に立つ赤い幟。

天武天皇から持統天皇へ、やがて藤原京を地盤とする国家の基礎が築かれ、対外的にも「日本」という呼称が誕生する時代が到来します。その日本の黎明期に、天武天皇(大海人皇子)を救った村屋神という存在。そう考えると、とてつもなく大きな存在感に圧倒されます。

村屋神社本殿

本殿前の覆屋。

壬申の乱の功績を後世に伝えるため、この時功のあった三神を回る御渡りが執り行われました。

三神とは村屋神を祀る村屋神社、事代主命を祀る久須須美神社、生雷神を祀る境外摂社の森市神社のことを指します。天正時代(1580年頃)に戦火に遭って社地を奪われ、財源を失くすことになる村屋神社。一時期祭祀は途絶えましたが、慶長4年(1599)52代神主大神森本政重によって、現在の規模に縮小して再興されています。

村屋神社本殿

村屋神社本殿。

向かって左側に大物主命、右側に三穂津姫命を祀ります。

村屋神社本殿の鳥居

本殿前の木の鳥居。

村屋神が例祭に渡御する森市神社ですが、同じく田原本町の大安寺池横に縦長の境内があります。境外摂社の森市神社は、壬申の乱に功のあった生雷神を祀るお社です。

村屋神社の御神紋

本殿から拝殿方向に振り返ると、これは村屋神社の御神紋なのでしょうか。

日本国を象徴する五七桐の紋が刻まれていました。

村屋神社の石灯籠

拝殿前にもたくさんの石灯籠が並んでいます。

村屋神社の年中行事として、拝殿前では御田植祭や夏越しの大祓が執り行われます。2月11日の祈年祭・御田祭りでは、五穀豊穣を祈る祭典に続いて、牛使いが牛に扮した人を使って稲作の所作などを行います。

村屋神社境内の石碑

征清討台戦死病死者祈念碑。

拝殿向かって右手前、物部神社の前辺りに建ちます。

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村屋神社の鳥居

村屋神社には鳥居が二つあります。

南から北へ一直線上に一の鳥居、二の鳥居、拝殿、本殿が並んでいます。

社叢の北東方向から境内へ入ったため、鳥居が後回しになってしまいました(笑)

村屋神社二の鳥居

村屋神社二の鳥居

鳥居右側に社号標、左側には由緒案内板がありました。

村屋神社参道

二の鳥居をくぐると、真っ直ぐに拝殿へと参道が続いています。

拝殿前の斎庭に至るまで、参道両脇には石灯籠が綺麗に並んでいます。参道の幅はそれほど広くありませんが、天然記念物の森屋の森に囲まれ、より一層スピリチュアルな雰囲気に満たされます。

村屋神社二の鳥居脇の石碑

二の鳥居向かって左側にあった石碑。

食物全般の神とされる保食神(うけもちのかみ)でしょうか。

村屋神社の駐車場

二の鳥居の手前で二手に道が分かれています。

鳥居手前右側に、わずかなスペースの駐車場がありました。鳥居手前を右へ行っても左へ行っても、ぐるりと村屋神社の社叢の周囲を廻って元の場所へと戻って来ます。

村屋神社の由緒

別名「森屋の宮」と案内されています。

鬱蒼とした杜の中はまるで別世界です。村屋神社の東西を、国道169号線と24号線が走っていますが、それぞれに少し距離が離れていることもあってか、ここは実に静かな場所です。同じく田原本町の古社である鏡作神社は国道24号線にも程近く、神社の場所を探し当てるのも比較的容易でした。その点、こちらの村屋神社には「ちょっとした秘境の空気」が流れています(笑)

村屋神社の紫陽花

一の鳥居から二の鳥居へ至る途中に、梅雨を知らせる紫陽花の花が咲いていました。

この日は6月の蒸し暑い一日で、村屋神社の社叢にもたくさんの蚊が飛んでいました。

村屋神社一の鳥居

こちらが村屋神社一の鳥居です。

木造の鳥居は傷みも進んでいるのでしょうか?鳥居の柱につっかえ棒のようなものが見られました。

森屋

一の鳥居前の石灯籠に「森屋」と刻まれています。

真ん中に彫られているのは十六菊花紋のようです。

森屋大明神の石灯籠

村屋神社境内の「森屋大明神」と刻まれた石灯籠。

隣の柱面に見られるのは、建立された日付でしょうか。

落ち葉と村屋神社拝殿

境内にうず高く盛られた落ち葉。

一の鳥居、二の鳥居を通って真っ直ぐ参道を進んで来ると、綺麗に掃き清められた境内には清浄な空気が満ちていました。壬申の乱以来、ここは特別な場所として神様に守られてきたような気が致します。

村屋神社の社叢

村屋神社の社叢は、昭和58年3月15日に県の天然記念物に指定されています。

イチイガシが群生する、植物学上極めて貴重な照葉樹林の森です。参道周辺には古くから杉の補植が行われ、森林の高さはおよそ29メートルに達していると書かれています。

縁結びにご利益があると伝わる村屋神社。

恋愛の神様は数あれど、天然記念物の社叢に覆われている神社はそう多くはないのではないでしょうか。

壬申の乱の功績により、神社として初めて天皇から位を賜ったと伝わる村屋神社。後の世に大きな影響を及ぼした天武天皇のことを思えば、村屋神の果たした役割は決して小さくはなかったものと思われます。

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