菅原道真の腰掛石

東大寺の守護神として知られる手向山八幡宮。

その境内に、菅原道真の腰掛石が祀られています。昔の人の旅における主な移動手段は歩くことでした。歩いて歩いて歩いて、ひたすら歩いてそこに石を見つければ、つい腰を掛けたくもなるのでしょうね(笑)

菅原道真の腰掛石

朱色の鳥居の奥に、管公腰掛石が佇みます。

後世に語り継がれる偉い人物にでもなれば、日常の些細な事物が歴史的遺物にもなり得ます。産湯の井戸や腰掛石などは、その代表的なものではないでしょうか。

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宇多上皇のお供で手向山八幡宮参詣

菅原道真は昌泰元年(898)の10月、紅葉の季節に朱雀院(宇多上皇)のお供で手向山八幡宮に参詣しています。その時に詠んだ歌が百人一首にも収められ、数多くの人に愛されてきました。

道真の産湯の井戸を、京都の烏丸通沿いで拝観したことがあります。道真生誕の地と伝えられる菅原院天満宮神社の境内でしたが、歴史的人物における「生誕の地」というのも各地では様々に言い伝えられており、その伝承の多さには驚きます。陰陽師の安倍晴明なども、その生誕地が奈良の安倍文殊院なのか、京都の晴明神社なのかよく分からないところではあります(笑)

手向山八幡宮の石灯籠

手向山八幡宮の石灯籠。

手向山八幡宮をシンボライズする鳩の「向かい鳩」が描かれていますね。

菅原道真の腰掛石と歌碑

菅原道真の腰掛石と歌碑。

腰掛石なども本当に腰を掛けたのかどうか、定かには言えないところに人を惹き付ける何かが隠されているのかもしれません。今、目の前にしているこの石に、本当に道真が体を休めるために腰を掛けたのか。今となっては誰も分かりません。ただ、道真が西暦898年に手向山八幡宮に詣でたという事実だけは確かなようです。

菅原道真の歌碑

菅原道真の歌碑。

「このたびは幣もとりあえず手向山 紅葉(もみじ)の錦神のまにまに」

歌の意味はこんな感じです。このたびの旅は急なお出掛けのため、お供えの幣帛の用意も出来ておりません。とりあえず、この手向山の美しい紅葉の錦を幣帛として神よ、御心のままにお受け取り下さい。

神に捧げる幣(ぬさ)には麻や布などが用いられたのでしょうか。急な出立のため、その準備が出来なかったというフリで始まる名歌です。

昔の人は旅行をする際、途中で幣(ぬさ)を神に捧げるための「幣袋(ぬさぶくろ)」という袋を携えていたと言います。おそらくそんな幣袋も携帯せずに、急な旅に出発したものと思われます。

奈良公園の鹿と東大寺二月堂・三月堂

東大寺大仏殿と鏡池の間を東へ取り、手向山八幡宮の鳥居をくぐって、まずは東大寺二月堂・三月堂方面へと向かいます。石段を登り切った所で、奈良の鹿が出迎えてくれました。

菅原道真の腰掛石

東大寺三月堂の前に、今度は石造りの手向山八幡宮鳥居があります。

そこをくぐり抜けて大黒堂、本堂を左手に見ながら進むと、程なく左手に菅原道真の腰掛石が姿を現します。石の上にはお賽銭が置かれていました。単なる石ではない、聖石のオーラが伝わって参ります。

若草山入山ゲートの鹿

手向山八幡宮の境内を横切って、若草山麓へと出ます。

入山ゲート前にも鹿がたむろしていました。

奈良県内では聖徳太子の腰掛石を見学したことがあったのですが、今回偶然にも管公腰掛石に出会うことが出来てとてもラッキーでした。