紫陽花の久米寺に仰ぐ久米仙人

久米仙人に始まり、多宝塔、紫陽花など見所がいっぱいの久米寺

仙人弁当や中風除けになるという南瓜の酢の物料理も楽しめるお寺です。南瓜は冬至に食べると中風に罹らないと言います。久米仙人にご利益のある中風除けにかけて、薄くスライスされた南瓜の酢の物。塩揉みして二杯酢に漬けられた南瓜に、香ばしい黒胡麻が振りかけられています。山菜ご飯と合わせた要予約の仙人弁当は、久米寺おすすめの逸品です。

久米寺の願いの玉

本堂外陣に置かれた願いの玉

「なでましょう 願いの玉 宝珠」と書かれています。球形かと思いきや、てっぺんの部分にニョロッと突起が見られます。擬宝珠と同じフォルムで如意宝珠であることが分かります。たくさんの参拝客に撫でられているためか、その表面はピカピカでした。

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西国薬師第七番霊場の久米寺

久米寺の御本尊は天得薬師瑠璃光如来坐像(てんとくやくしるりこうにょらいざぞう)です。

木造の寄木造で、その身の丈は1丈6尺に及びます。その胎内侍として薬師如来立像も収められており、久米寺は薬師如来を中心とするお寺であることが分かります。
西国四十九薬師霊場会は奈良県内をはじめ、大阪、兵庫、京都、滋賀、和歌山、三重の七府県四十九ヶ寺から成る薬師信仰の霊場会で、1989年(平成元年)に結成されています。

西国薬師の第一番霊場は、奈良県の西ノ京にある薬師寺です。第9番の金剛寺までを奈良県内のお寺が占めています。

西国薬師第七番霊場久米寺

西国薬師第七番霊場を示すお札が掛かります。

その向こうの柱に、「推古天皇勅願所」と書かれていますね。

久米寺の歴史は、推古天皇の勅願により、聖徳太子の弟である来目皇子が建立したことに始まります。

久米寺の薬師如来石

本堂前に巨大な薬師如来石がありました。

石に刻まれているのは梵字でしょうか?その向こうには、鐘楼と久米仙人像が見えています。

大坂薬師講

「大坂 薬師講」と書かれています。

重たそうな石の四隅を、猛者たちが肩で支えています(笑)

久米寺の邪鬼

胡坐をかき、両手で踏ん張っています。

その屈強な肩に伸し掛かる重荷は如何ほどのものでしょうか。太い眉毛の下で目をむき、口はへの字に結んでいます。こういう役目を背負わされるのは「邪鬼」と大体相場は決まっていますが、久米寺本堂前で踏ん張る四体の正体は何なのでしょうね(笑)

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仁和寺移築の多宝塔は重要文化財

境内で一際その異彩を放っている建築物があります。

桃山文化の香を残す重要文化財の多宝塔です。

多宝塔のすぐ傍に、かつての塔が建っていた大塔礎石があります。雷火で焼失してしまったと云われる塔の代わりに、万治(まんじ)2年の1659年に京都・仁和寺より移築されました。

久米寺の多宝塔

久米寺の多宝塔

実に美しい建物です。久米寺境内の地味な堂宇の中で、最も観光客の目を奪っているのではないでしょうか。久米寺にはもう何度も足を運んでいるのですが、この多宝塔を撮影しようとするといつも逆光を感じます(笑)

久米寺の多宝塔

建立年代は江戸時代初期と考えられています。

頭貫(かしらぬき)や木鼻、須弥壇などに禅宗様が漂います。多宝塔の高さは14.5mにも及びます。多宝塔の御本尊は大日如来坐像で、胎蔵界の大日如来が結ぶ法界定印(ほっかいじょういん)を結んでいます。

インドから来た善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)が、釈迦の遺骨である仏舎利と大日経を納めて建立した建物と伝わります。

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久米寺は紫陽花の名所

久米寺は奈良県屈指の紫陽花の名所でもあります。

私が今回訪れたのは6月初旬でした。拝観受付の方に伺うと、残念ながら境内のあじさい園はまだ開園していないとのことでした。おそらくあと2~3日で開園の運びになるだろうということでした。

その年によって開花状況は異なります。紫陽花を目的に久米寺を参拝する場合は、事前にチェックしておかれることをおすすめ致します。

久米寺紫陽花と七重石塔

わすかに咲いていた紫陽花と七重石塔

石塔の上の方が崩れていて、歴史を感じさせる風情ある佇まいです。

白い紫陽花もいいものですね。総じて紫陽花と言えば、紫色の花を想像するわけですが、紫の語源は群がって咲く「群ら+咲き」に由来します。古来より伝わる大和言葉に触れると、日本人であることのDNAが心地よく刺激されます。

久米寺の七重石塔

高さ2・4メートルの七重石塔が西向きに建っています。

凝灰岩製の石塔月輪内には、流麗な金剛界四仏の種子が刻み込まれています。平安時代後期の作と伝わる七重石塔が、境内を流れる空気に変化を与えています。

あじさい園の拝観受付

本堂左脇のあじさい園入口。

入園料が掲示されており、大人は400円で入場することができます。3,000~4、000株、40種類の紫陽花を楽しむことができます。久米寺の紫陽花の見頃は6月初旬~7月初旬とされますが、あくまでも開花状況は天候に左右されますので、常時開花情報を調べておかれることをおすすめ致します。

6月第3日曜日にはあじさい祈願が行われます。新種の紫陽花も観賞できる機会ですので、是非足を運んでみられてはいかがでしょうか。

久米寺のあじさい園

本堂の廊下から、あじさい園の入口付近を見下ろします。

参拝記念に頂戴できるという、「あじさいはんかち」は魅力的です。大和久米寺と記され、その上に綺麗な紫陽花が描かれたハンカチです。

奈良県内の紫陽花の名所と言えば、大和郡山市の矢田寺を思い浮かべる方も多いと思われます。矢田地蔵で知られる名刹ですが、ここ久米寺の紫陽花も負けてはいません。その形状から手毬花(てまりばな)とも呼ばれ、一つの房となって咲く様子は雨の季節に独特の趣を添えます。

久米寺の紫陽花

紫陽花の花の色は七変化することから、その花言葉は「移り気」とされます。

概ね白から紫、ついで淡紅色へと変化していきます。ユキノシタ科に属する紫陽花ですが、日本の海岸に自生するガクアジサイから改良が重ねられ、その品種は多岐に渡ります。紫陽花に見られる球状の集散花序は観賞用にぴったりです。

花びらが4つあることから、四片(よひら)とも称される紫陽花。

薬用としても利用されてきた歴史があり、その花は解熱薬に、葉っぱは瘧(おこり)の治療薬にもなりました。

薬師如来を御本尊とする久米寺だけに、紫陽花の効能には有難いご利益が感じられます。

久米寺山門の仁王像

久米寺山門の阿形・仁王像。

久米寺駐車場の横に、木目の綺麗な新しい山門があります。金網の向こう側に、すごい形相で睨み付ける仁王様がお立ちになられています。それほど像高のある仁王像ではありませんが、この表情を見れば誰しも立ちすくんでしまいます。

久米寺山門の仁王像

阿吽の呼吸の反対側、山門向かって左側には吽形の仁王像が立ちます。

右手の掌を見せ、グッと力を込めている様子がうかがえます。

久米寺の大塔礎石

大塔礎石

山門を入ると真正面に、かつての塔が建っていた礎石群が姿を現します。

この場所に五重塔が建っていたのか、はたまた巨大な多宝塔が建っていたのか、その謎は深まるばかりです。現在の多宝塔周辺の礎石群や、出土した瓦などから推察すると、7世紀後半には既に久米寺は存在していたと言われます。

かつては金堂、観音堂、御影堂、多宝塔などの伽藍が建ち並ぶ大寺院であったことがうかがえます。

久米寺の大塔礎石

大塔礎石を斜めの角度から撮影してみます。

それにしても巨大な礎石です。この上に建造物が建つわけですから、いかに大きな建物であったかが推測できます。

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久米仙人の神通力

大塔礎石を見た後、境内の金毘羅さんや多宝塔にお参りし、久米寺の中心伽藍である本堂へと足を向けます。

本堂の手前左側に、久米寺ゆかりの久米仙人像が建っていました。

久米仙人像

久米仙人像

若い女性の色気に惑わされて神通力を失った久米仙人の逸話はあまりにも有名です。

久米仙人の生まれは、金剛山麓に広がる葛城の里です。欽明天皇の時代、6世紀半ばに生を享けた久米仙人は吉野山龍ヶ嶽で神通力を身に付けました。仙術で空を飛べるようになった久米仙人。そんなある日、飛行中に吉野川で洗濯をしていた娘のふくらはぎに見惚れてしまい、敢え無く墜落してしまいます(笑) このエピソードは今昔物語集徒然草にも引かれている故事として広く知られます。

法力を失ってしまった久米仙人。

気立ての優しい娘さんだったのでしょうか。自分のせいで法力を失った久米仙人を不憫に思ったのか、めでたくゴールインしてしまいます。結婚に至った二人の逸話から、ここ久米寺は縁結びのお寺としても知られます。

結婚後は俗人として暮らしていた久米仙人。

そんな折、聖武天皇による東大寺大仏殿建立の話が舞い込んで参ります。最初は普通に労働者として働いていた久米仙人でしたが、ある日、共に働く仕事仲間から「お前も仙人なら、仙術を使って材木など一気に運んでしまったらどうだ」とからかわれます。発奮した仙人は、7日7晩祈り続けた後に法力を見事に回復しました。久米仙人の神通力により、山にあった材木が次々と空を飛んで都へと飛んでいったと云います。これに喜んだ天皇は、免田30町を仙人に賜ったと伝えられます。

久米寺本堂とツツジ

本堂前に咲くツツジ。

5月はツツジ、6月には紫陽花と、久米寺境内を鮮やかに彩ります。

本堂内には久米仙人自作の久米仙人像が伝わります。

久米仙人が自らの毛・歯・肉をとどめたとされる尊像です。世の中の中風や下の病を除くために、御本尊の薬師如来に誓いを立てて造られました。さらに久米仙人は、孟宗竹の箸も製作したと伝えられます。孟宗竹の箸を用いる者は中風や下の病に罹らないと言われます。

久米仙人はここ久米寺に百数十年も住んでいたと伝わります。

長生きをした久米仙人にあやかってか、久米寺は「長寿延命の福宝」として大和七福八宝霊場の札所にもなっています。長寿のご利益にも授かれる久米寺。長生きできるとあらば、お色気路線もご愛嬌の一つですね。

久米寺本堂

阿弥陀堂方面から本堂を撮影。

朱色に塗られた柱が美しい本堂脇です。

本堂の裏手には近鉄南大阪線が通っていて、時折電車の通過する音が聞こえてきます。橿原神宮前から天王寺のあべの橋方面へ伸びる路線です。あべのハルカスのオープンで注目を集めた頃の記憶が蘇ります。

久米寺の弘法大師岩

大師堂の前に鎮まる弘法大師石

本堂前の薬師如来石も巨大でしたが、こちらの弘法大師石もかなり重量感にあふれています。

空海が大日経を感得した場所とされる久米寺。その後の空海の活躍を思えば、その発端となった久米寺にもっと注目が集まってもいいのではないかと思われます。

久米寺の大師堂

大師堂。

向かって右手に合掌道場、左手には歴史を感じさせる七重石塔が佇みます。

草木に囲まれ、静謐な空気が漂います。

多宝塔は初層が公開されることもあるようですが、この大師堂の扉は開けられることがあるのでしょうか。とても気になるところです。久米寺の宗派は真言宗です。弘法大師空海との関係は切っても切れないものがあります。大師堂の中はどうなっているのか?大変俗っぽい興味を抱かせる場所です。

久米寺の願いの玉

本堂外陣の願いの玉。

本当につるっつるっですね(笑)

台座の表面はやはり半円状にくり抜かれているのでしょうか。木魚よりもはるかに大きいサイズの宝珠ですから、安定を保つための台座の役割は小さくありません。ゴロゴロ転がっていったりしたら大変ですからね。

久米寺は毎年5月3日に執り行われる練供養でも有名です。

春の農繁期前に催される祭典で、通称「久米レンゾ」(久米会式)と呼ばれるお会式です。本堂から護国道場まで約100mの掛け橋が架けられ、そこを二十五菩薩が渡って行きます。現世と浄土をつなぐ来迎橋の周りにはたくさんの参詣客が陣取り、境内はにわかに賑わいます。

ゴールデンウイーク期間中の行事ということで、なかなか出向く機会には恵まれません。近い将来、この目で久米れんぞを拝見してみたいと思います。

薬師如来と久米仙人に出会える久米寺。

橿原神宮参拝のついでにでも、一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか。見所いっぱいの久米寺に、きっとご満足頂けることでしょう。

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久米寺拝観案内

久米寺の関連記事をご案内致します。

真言宗発祥のあじさい寺 久米寺

住所:奈良県橿原市久米町502

拝観料:400円(境内自由)

駐車場:無料15台

アクセス:近鉄橿原神宮前駅より徒歩5分

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