慶運寺石棺仏@桜井市箸中

慶運寺石棺仏を見学して参りました。

古墳の密集する桜井市箸中にあって、この石棺仏にも棺の身が使われているようです。阿蘇ピンク石で作られている点も見逃せません。すぐ西側にはホケノ山古墳、箸墓古墳などの大型前方後円墳もあり、歴史散策にはおすすめの場所です。

慶運寺石棺仏

慶運寺石棺仏。

弥勒菩薩立像が中肉彫りに浮かび上がります。

棺の身の部分ということは、ここに被葬者が横たわっていたということになります。慶運寺周辺には、かつて6基前後の後期古墳が存在していたそうですが、おそらくその内の一つなのでしょう。

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阿蘇ピンク石に刻まれる建治型弥勒菩薩

阿蘇ピンク石に関しては、以前に兜塚古墳のページでも触れました。

ピンク色の石は見た目にも目立ちます。大変珍しい石材だけに、慶運寺石棺仏の価値も上がるというものではないでしょうか。何より神秘的です。阿蘇山の噴火によって出来たパワーストーンとも言われています。

今回私はホケノ山古墳の駐車場に車を停めて、徒歩で慶運寺を目指しました。

慶運寺石仏

巻向川沿いをしばらく歩くと、左手に慶運寺の本堂屋根が見えて参ります。

手前には見事な墓石群!

慶運寺山門

正面に回り込みます。

山門右手に「三輪山慶運寺」の寺号標。

慶運寺本堂

慶運寺本堂。

慶運寺は浄土宗のお寺です。

本堂において念仏講も行われているようです。山門前の掲示板に目をやると、「本堂花天井絵」と題する絵画が案内されていました。慶運寺本堂内には入ったことがないのですが、橘寺往生院のように天井画があるのでしょうか。ちょっと興味がありますね。

慶運寺石棺仏

本堂向かって左手前に石棺仏がありました。

お堂に守られるでもなく、露天に晒されています。

慶運寺石棺仏

刳り抜き式石棺が使われています。

背後には墓地が広がります。

慶運寺裏古墳と石棺仏の解説パネル

慶運寺裏古墳と石棺仏の案内板。

後世の開発によって墳丘が改変され、墳形は不明であるが、南面する円墳と考えられる。石室は乱石積によって構築された両袖式の横穴式石室で、長さ約3m、幅1.8m、高さ約2m、羨道の一部は削り取られている。

本堂の西側には、建治型と呼ばれる弥勒菩薩を刻んだ刳抜式石棺の身があるが、慶運寺周辺にはかつて六基前後の後期古墳が存在していたようで、いずれの古墳に属していたか、はっきりしない。 桜井市教育委員会

境内にある慶運寺裏古墳も案内されていますね。

横穴式石室が開口しているようです。この後、境内を探し回ってみたのですが見つけることが出来ませんでした。家に帰りネット検索してみると、いとも簡単に間違いに気付きました(笑) よく下調べしてから行った方がいいですね。本堂西側の建物に沿った所に、細い通路があったようです。そこを回り込めば、慶運寺裏古墳に行き着きます。

慶運寺石棺仏

下部には破損が見られます。

年月による摩耗のためか、御顔の表情もよく読み取れません。上部が笠のように覆い被さり、弥勒菩薩を守っています。でも、ちょっと頭でっかちのような印象が拭えません。バランス具合が心配です。

慶運寺石棺仏

反対側の下部も、実に心もとないですね。

堂内での安置は検討されないのでしょうか。そういえば、兜塚古墳の石棺も露天に晒されていました。阿蘇ピンク石は比較的強い石なのかもしれませんね。

山の辺の道のハイキングコースに金屋の石仏がありますが、そのお堂床下にも、阿蘇ピンク石の石棺が残されています。県内では数少ない阿蘇ピンク石ですから、大切に守られていくことを願います。

慶運寺墓地

本堂裏手にも墓地が広がっていました。

北西方向には慶運寺裏円墳と呼ばれる小さな丘状隆起も見られます。

慶運寺墓地

雨上がりの空がよく晴れ渡ります。

この後、檜原神社の駐車場近くに建立された ”水森かおりの歌碑” を見に行く予定だったので、あまり長居はできません。梅雨時の空ですから、またいつ雨が降り出すかもしれません。

三輪山慶運寺の掲示板

三輪山慶運寺の掲示板。

綺麗な紫陽花が咲いていました。巻向川のせせらぎが心地よく聞こえ、東方には三輪山を望みます。

慶運寺の寺紋

慶運寺の寺紋でしょうか。

輪っかが三つ連なった輪違い紋ですね。「三つ並び金輪」と称される紋だと思われます。

浄土宗のお寺らしく、御本尊は阿弥陀如来のようです。

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