女人往生の誓願寺@新京極

京都の新京極にある誓願寺にお参りして来ました。

京都の繁華街・新京極通に佇む寺院で、女人往生、芸道上達、落語発祥の寺と伝わります。市街地のど真ん中に位置しており、長い間庶民に親しまれてきた歴史がうかがえます。

誓願寺

誓願寺山門。

誓願寺からすぐ南側には、和泉式部の墓(宝篋印塔)がある誠心院が佇んでいます。

新西国第十五番霊場と書かれた札が立っていますね。昭和7年に人気投票で選定されたという新西国霊場。当時の京阪神の新聞社が一般読者から募ったそうです。庶民的人気を誇るお寺が名を連ねていたと言います。第一番霊場の四天王寺に始まり、三十三番霊場の瑠璃寺(播磨高野)まで続く霊場巡りです。

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石清水八幡宮に祀られていた丈六の阿弥陀如来坐像

誓願寺の御本尊は、本堂に祀られる阿弥陀如来坐像です。

腕の立つ仏師父子が協力して彫り上げたご尊像で、平安時代後期の定朝様式の丈六仏として知られます。

誓願寺阿弥陀如来坐像

誓願寺の阿弥陀如来坐像。

極楽鳥花の異名を持つストレリチアが活けられていました。極楽浄土の阿弥陀さんですから、実によくマッチしていますね。ちなみに本堂内の撮影は許可を得ています。

この仏像は天智天皇の夢のお告げによって造られたとのこと。当時仏師として名を馳せていた賢問子(けんもんし)・芥子国(けしこく)父子に丈六の阿弥陀如来坐像の造立を命じた天智天皇。父子はそれぞれ別々の部屋で仏の半身を彫っていたそうです。血の通い合う父子故なのか、合体させると寸分たがわず合致して見事な仏像が出来上がったと伝えられます。

誓願寺阿弥陀如来坐像

浄財の文字の間に、誓願寺の寺紋がデザインされています。

三つ盛亀甲紋

浅井長政の家紋として知られますが、誓願寺の紋にもなっている理由が知りたいところですね。

ところで、仏像制作中の父子には面白いエピソードが残されています。

阿弥陀如来の制作現場では、夜になると斧やノミを使う音が聞こえてきたそうです。部屋の中を覗いてみると、賢問子が地蔵菩薩に、芥子国が観音菩薩になり、闇の中で光を放ちながら一心に彫っていました。これらは春日大明神の本来のお姿であることから、御本尊は春日大明神が造られたと崇め奉られているそうです。

誓願寺山門

山門両脇にも三つ盛亀甲紋の提灯が掲げられています。

左手の石標は何でしょう?

誓願寺の拝観小冊子に、その詳細が案内されていました。どうやら迷子の道しるべのようです。

石標正面に「迷子みちしるべ」、右側に「教しゆる方」、左側には「さがす方」と刻まれています。現在のような警察が存在しなかった江戸末期~明治中期には、迷子が深刻な社会問題になっていました。そのため、各地の社寺や盛り場などに石柱が建てられたそうです。この石に紙を貼って情報交換したと伝えられます。

仲人を意味する月下氷人の役目を果たしていたことから、別名を奇縁氷人石(きえんひょうじんせき)と言うようです。

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和泉式部ゆかり女人往生の寺

誓願寺の所在地である新京極には和泉式部のお墓があります。

誓願寺を語る上で、平安中期の歌人・和泉式部を外すわけには参りません。誓願寺の歴史とは切っても切れない関係にあるのが和泉式部です。

和泉式部の茶ふきん

『和泉式部』茶ふきん。

参拝記念に一枚300円で販売されていました。

誓願寺は和泉式部ゆかりのお寺でもあります。

和泉式部は誓願寺で往生しています。かの清少納言もこの地で極楽往生を果たしており、女人往生の寺として知られる所以ですね。

和泉式部の扇子

こちらは和泉式部をモチーフにした扇子。

親骨が茶唐木仕様になっており、お値段は2,000円です。

歴史にその名を残す和泉式部ですが、実は娘に先立たれています。

逆縁ほど悲しいものはありませんよね。和泉式部も例外ではなく、娘を失ってからは世の無常を感じ始めるようになります。哀しみの中、和泉式部は播州の書写山(しょしゃざん)へ高僧・性空(しょうくう)上人を訪ねました。その際、「京都八幡山の大菩薩に祈るべし」と言われ、石清水八幡宮へ参って祈ることになります。すると、夢の中に老僧が現れて「誓願寺で祈るべし」と告げられました。

そこで、誓願寺に48日間籠って一心に念仏を唱えたところ、今度は霊夢に老尼が現れて「念仏を唱えれば女人の往生は疑いなし」とのお告げがあったと伝えられます。和泉式部は尼となって庵を結び、誓願寺でめでたく往生したということです。

諸芸上達の扇絵馬

諸芸上達と記された誓願寺の絵馬。

誓願寺は芸能にも通じているようで、どこかポップな印象を受けますね。

タツノオトシゴの扇子

こちらはタツノオトシゴの扇子。

誓願寺の節分会では踊りの奉納もあるようです。

元禄花見踊り、扇尽くし、花の誓願寺などの演目が奉納され、ハンカチ撒きで境内が賑わいます。その後には豆まき、扇塚法要と続き、古くなった扇が供養されます。

芸道上達御守

芸道上達のお守り

和泉式部や落語の祖・策伝上人にあやかる御守です。

これはご利益がありそうですね。

新京極華舞台

新京極華舞台。

誓願寺を訪れたのは今年のお正月でした。

山門前には休憩コーナーが設けられており、道行く人が休憩なさっていました。

京都Wi-Fi

京都Wi-Fiの看板。

この辺りはフリーWi-Fiが仕えるようです。英語や中国語、ハングル語でも案内されています。さすがは国際観光都市の京都ですね。

誓願寺本堂

円光大師霊場第二十番の誓願寺。

誓願寺は法然上人の二十五霊場にも名を連ねているようです。

誓願寺の寺紋

またまた出ました、三つ盛亀甲紋。

誓願寺は六阿弥陀巡拝会にも属しています。

洛陽六阿弥陀巡拝(ろくあみだめぐり)は、五条坂にある安祥院(あんしょういん)の開基・木食正禅(もくじきしょうぜん)上人が阿弥陀仏の霊感を受け発願されました。年間を通して功徳日が定められており、この功徳日参りを3年3カ月間怠らずに行えば、無病息災・家運隆盛・諸願成就の功徳を受けることができるとされます。

六阿弥陀には真如堂阿弥陀如来、永観堂阿弥陀如来などの有名どころも含まれます。

毎年変わることのない功徳日ですが、例えば正月15日にお詣りすれば、「仏を六万体つくるにむかう」と言われます。2月8日の功徳日なら「五重塔を一万たつるにむかう」、3月14日の功徳日なら「七堂伽藍をたつるにむかう」とされます。

北向地蔵尊

境内には北向地蔵尊も祀られていました。

何かと南向きが多い建物や仏像の中にあって、北を向いているというだけで特異な存在ですよね。

誓願寺鐘楼

鐘楼の手前には一言観音菩薩の幟がゆらめきます。

本堂内向かって右手に祀られる観音様で、一言だけ参詣者の願いを叶えてくれます。

一言観音菩薩の幟

本堂前にも数多くの幟旗が立っていました。

お寺の信奉者が奉納したものでしょう。

誓願寺の解説パネル

誓願寺の解説パネル。

天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建された。本尊の阿弥陀如来坐像は賢問子・芥子国の作であった。もとは奈良にあったが、鎌倉初期に京都の一条小川(現・上京区元誓願寺通小川西入)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在地に移された。

その当時は京都有数の巨刹の規模を有し、表門は寺町六角に面し、裏門は三条通に北面し、境内地6,500坪には多数の伽藍を有し、18ヶ寺の山内寺院を擁していた。

清少納言、和泉式部、秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺としても名高い。また源信僧都は、当寺にて善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行った。浄土宗元祖の法然上人が興福寺の蔵俊(ぞうしゅん)僧都より当寺を譲られて以降、浄土宗になったという。現在は、法然上人の高弟・西山(せいざん)上人善恵房證空(ぜんねぼうしょうくう)の流れをくむ浄土宗西山深草派の総本山である。

誓願寺は元来、三論宗のお寺だったと伝わります。

現在は浄土宗西山深草派の総本山であり、法然ゆかりのお寺として親しまれています。

誓願寺本堂の天蓋

本堂内の天蓋。

見上げれば格天井、そして煌びやかな天蓋が吊るされていました。

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落語の聖地

数ある芸能の中でも、落語の位置付けは特別なものではないでしょうか。

テレビ番組の『笑点』は長寿番組として君臨し続けています。人間国宝の落語家もいらっしゃいます。日本の芸能の中にあって、ある種特別なカテゴリーであり続ける落語の世界。そんな落語の聖地とも言える場所が、ここ誓願寺なのです。

落語の祖・策伝上人

落語の祖と伝わる策伝上人

誓願寺第55世の安楽庵策伝上人にちなみ、毎年10月初旬の日曜日には「策伝忌」が営まれ、奉納落語会が開催されます。落語の歴史に策伝上人ありなのですね。

これは覚えておかなければなりません。

戦国時代の僧侶として布教に励むかたわら、文人や茶人としての才能も発揮していました。教訓的でオチのある笑い話を千余り集めた著書『醒睡笑(せいすいしょう)』八巻は、後世に落語のタネ本となったようです。

南無観世音菩薩

南無観世音菩薩の赤提灯。

厨子の中にいらっしゃるのは一言観音様でしょうか。

誓願寺本尊

堂々とした体躯で本堂に坐す御本尊。

誓願寺と芸能の関係では、能の世界に名を残す世阿弥も登場します。世阿弥作の謡曲に『誓願寺』と題する作品があるのです。

和泉式部と一遍上人が、誓願寺の縁起と霊験を物語る作品です。その中で和泉式部は歌舞の菩薩となって現れます。この謡曲により、舞踊家の間では和泉式部信仰が生まれたと伝わります。今では境内の扇塚に芸道上達を祈願して扇子を奉納する習わしがあります。

新京極誓願寺

タツノオトシゴが「芸道上達」とのたまひます(笑)

なぜ芸道とタツノオトシゴが結び付くのでしょうか?ちょっと謎ではありますね。

誓願寺の阿弥陀如来坐像

煌びやかな光背には無数の化仏が配されます。

肉髻(にっけい)が盛り上がり、長い耳が肩まで達しようとしています。仏像特有の三十二相八十種好が各所に見られますね。実に安定感のある仏様ではないでしょうか。

誓願寺前の顔出しパネル

誓願寺前には顔出しパネルも(笑)

誓願寺の北には広大な墓地があります。

落語の祖である策伝上人をはじめ、日本初の人体解剖を行った山脇東洋、本居宣長の師と伝わる堀元厚、正倉院文書整理の先駆者・穂井田忠友などが眠っています。

誓願寺の阿弥陀如来坐像

やっぱり丈六仏は迫力がありますね。

街ナカにこれだけ大きな仏像が祀られているとは、さすがに京都は奥が深い。

ショッピングついでに立ち寄れるお寺です。東山の知恩院や高台寺などの荘厳さこそありませんが、その分敷居が低くて親しみの湧く寺です。こんな場所に・・・と誰もが驚く寺院だと思われます。

<誓願寺の拝観案内>

  • 住所  :京都府京都市中京区新京極桜之町453
  • 拝観料 :無料
  • 経典  :浄土三部経(観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経)
  • 年間行事:1/1修正会 2/3節分会 8/16精霊送り盆施餓鬼法要 11/20西山忌 12/24お見拭式
  • アクセス:タクシー河原町六角下車徒歩2分、京阪電車三条駅下車徒歩10分
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