夏至の日の絵画奉納@大神神社

6月21日の夏至の日に、大神神社拝殿に於いて絵画を奉納する祭典が営まれました。

堀内亜紀『大物主命』絵画奉納奉告祭。

堀内亜紀さんが我が子のように慈しんでこられた絵画『大物主命』が、この度めでたく大神神社に奉納されることとなりました。

大神神社の茅の輪くぐり

大神神社拝殿前の茅の輪くぐり

6月30日の夏越しの大祓を控え、上半期の穢れを祓う茅の輪が既に登場していました。大神神社の夏を象徴する茅の輪に、巡り来る季節の到来を感じます。

太陽のパワーが最高潮に達する夏至の日に、日の出をシンボライズする三輪山麓で開かれる祭典。

もうそれだけで、胸の高鳴りを覚えるのです。思えば大神神社のアイドルである「なでうさぎ」でさえも、太陽の昇る真東を象徴しています。十二支を24時間の時計盤に見立てれば、子丑寅卯の卯(ウサギ)は午前6時を指します。まさしくサンライズ、人生に例えれば青春時代そのものです。何かが始まる、そんな期待を抱きながら奉告祭に臨みます。

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猿田彦に太陽神の面影を見る

夏至の日のイベントを前に訪れた堀内亜紀さんのアトリエ

今回奉納される大物主命や少彦名命の他にも、実に様々な神様の絵画を拝見致しました。前回の記事でご紹介しきれなかったのですが、猿田彦大神を描いた絵画がとても印象的だったのでここにご報告申し上げます。

大神神社正式参拝控室

絵画奉納奉告祭を前に、神社の控室に少しずつ参列者が集い出します。

この場所は大神神社の結婚式の際にも使用されるスペースですね。以前にブライダル関連の仕事で訪れた際、親族控室として通された記憶が蘇ります。拝殿向かって左側に準備された静かな空間です。

堀内亜紀の絵画『猿田彦』

こちらが、堀内亜紀さんのアトリエにあった猿田彦の原画。

見た瞬間、ほとばしる血管のようなものがイメージされました。猿田彦といえば天狗の姿をしているのはよく知られるところですが、堀内さんの絵画にもその姿が見て取れます。

堀内さんのお話では、描いている途中で悲劇的な死に方をしたサルタヒコを感じたそうです。悲しい最期を迎えた猿田彦・・・一体どんな死に方をしたのでしょうか?少し気になったので、家に帰ってから神話関連の本を紐解いてみました。

そこには、こう書かれていました。

『古事記』によれば、猿田彦大神が阿耶訶(あざか;伊勢国壱志郡・三重県松阪市)に居た時、漁をして比良夫貝(ひらぶがい)に手をはさまれ、海に沈み溺れたとあり、これは国神・猿田彦大神の服従儀礼とみなされている。

貝に手を挟まれて溺死した・・・何ともショッキングなお話ですね。

ところで、この比良夫貝とはタイラギ貝のことを指すようです。平貝とも書き、その大きな貝殻は舟盛り料理の中でも一際目立ちます。数年前にタイラギ貝の刺身をお客様にお出ししたことがありますので、どうぞ参考までにご覧になってみて下さい。

貝柱がとても美味しいのですが、それだけに殻を閉じるチカラも相当なものなのでしょう。

大神神社宝物収蔵庫と『大物主命』

宝物収蔵庫と『大物主命』。

大物主改め大黒天のシルエットは男根に通じていると言います。

興味深い話ですが、今回ご紹介している猿田彦にも同じく男根の姿が重なります。異形の神様・猿田彦の鼻は異様に高く、矛を手にするスタイルです。そして、その矛や鼻が陽根を想起させるのです。先導役を担う神であり、道祖神としても祀られることの多い神様ですが、何かこう・・・切り込み隊長的な突出したイメージが膨らむのを覚えます。

ところで、アマテラスを祀る伊勢神宮には、かつて土着の太陽神が祀られていたと言います。

そして、その太陽神こそが猿田彦である可能性が示唆されています。今もお伊勢さんのすぐ近くには猿田彦神社が鎮座していますよね。元を正せば、現在の伊勢神宮の地に猿田彦が祀られていたとも伝わります。

堀内亜紀の絵画『猿田彦』

「毛細血管」とでも表現したらいいのでしょうか、枝分かれした赤いラインが猿田彦の頭上で激しく踊っています。

この絵をよく見てみると、赤い左手の掌(てのひら)が何かを語りかけてくるようです。ひょっとすると、この左手をはさまれて海に引きずり込まれたのでしょうか?この絵も見れば見るほど、堀内ワールドに引き込まれていく感覚を覚えます。全体的にスマートな猿田彦に仕上がっており、そのシャープな鼻が印象に残ります。

三輪山の絵画

大神神社控室に飾られる『神と仰ぐ三輪山』。

天孫降臨に際し、ニニギノミコトの先導役を務めた猿田彦は伊勢の神様です。

大神神社とは直接の関係は無いのかもしれませんが、とてもセンセーショナルな絵画だったので記憶に留めておきたいと思います。

大神神社では、毎年4月に若宮神幸祭のお渡りが行われています。そこで、行列の先導役を務める猿田彦を見ることができます。高下駄を履いていた記憶があるのですが、七尋(ななひろ;12.6m)もあったという猿田彦の背丈を彷彿とさせます。

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