逆像で保存!獣頭人身十二支像の午@キトラ古墳壁画体験館

約一年ぶりにキトラ古墳壁画体験館へ行って参りました。

日本で唯一、四神の図像全てが揃うキトラ古墳壁画。

キトラ古墳壁画には四神、十二支、天文図、日月が描かれています。高松塚古墳でもそうでしたが、まず最初に発見されるのは北壁の四神・玄武です。キトラ古墳という名前も、盗掘孔から覗いた時にまず玄武(亀)と白虎(虎)が見えたからとする説があります。四神はあまりにも有名ですよね。今回は、キトラ古墳ならではの獣頭人身十二支像にも注目してみたいと思います。

獣頭人身十二支像の午

逆像で保存されることになった十二支像の午。

頭部が本来の左ではなく、右を向いています。写し取られた逆像の十二支像なんです。

壁にかぶさっていた泥に、図像が転写された状態で見つかったと言います。キトラ古墳では、貴重な壁画を後世に残すため、困難至極の壁画取り外し作業が行われました。今にも崩れ落ちそうな漆喰との闘いは想像を絶するものだったと言います。

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保存状態の良い十二支像の寅&面取りされた閉塞石

高松塚古墳の四方に描かれていたのは男女群像です。

キトラ古墳には男女群像が見られません。その代わりに、四神の下方に獣頭人身十二支像が描かれていたのです。北壁中央に十二支のトップバッターである子像、さらに各方位にそれぞれ3体ずつが配置されていました。

キトラ古墳の獣頭人身十二支像

3体の獣頭人身十二支像。

中央が午像ですが、本来の午像は左向きです。

基本的には皆、左方向を向いていますね。逆に転写された形で保存されているのは午像のみです。どちらを残すかはギリギリまで議論されたようですが、かぶさっていた泥の方に軍配が上がったということでしょう。

緻密な剥ぎ取り作業には並々ならぬ苦労があったようです。漆喰片の3Dパズルは延々と続き、今では無事にその作業も終えています。

獣頭人身十二支像の寅

こちらが最も保存状態の良かった寅像。

顔を近づければ、今でもはっきりとその線刻を確認することができます。北壁の玄武の下で、発見の時を待ち続けていてくれたようです。

キトラ古墳の獣頭人身十二支像

確認できる6体の十二支像。

キトラ古墳の十二支像のうち図像が確認できるのは、子、丑、寅、午、戌、亥。はっきりとは見えないものもあり、午は壁にかぶさっていた泥に図像が転写された状態で確認されました。

残念ながら残りの6体は確認できないようですが、海外の十二支像から推測された図像が案内されていました。

獣頭人身十二支像と天文図

獣頭人身十二支像の案内板と天文図。

星空の様子を精密に描いたキトラ古墳天文図に対し、高松塚古墳の星宿図は星空を簡略化して描いています。星空の再現としては、キトラ古墳の方が一枚上です。

さて、地下一階の展示室を一通り見学した後、キトラ古墳壁画保存管理施設へ向かいました。

今は壁画公開の期間にあらず、四神壁画を見学することは出来ませんでした。その代わりに、再現されたキトラ古墳の閉塞石を見学することができました。もちろん、こちらも無料です。

キトラ古墳の南壁に当たる閉塞石には盗掘孔があり、奇跡的に朱雀が残されていたことはよく知られます。

管理施設では、崩れ落ちた閉塞石の欠片を繋ぎ合わせ、かろうじて元の姿が再現されていました。注目すべきは閉塞石の角に見られる”面取り”です。ガイドの方にお伺いすると、朱雀だけは石室内ではなく、外で描かれた後に閉塞石と共に石室内に押し込まれたとのことでした。押し込みやすいように、閉塞石の端が面取りされていたのです。

これは面白いですね。

よく料理の世界では、煮崩れしないように面取りをします。おでんを作る際には、大根の面取りが欠かせません。摩擦を少しでも和らげるために面取りされた閉塞石を見て、古代人たちの知恵深さを感じました。

キトラ古墳の墳丘

獣頭人身十二支像の午の乾拓版と復元された墳丘。

一心不乱に鉛筆を動かして、紙の上に四神や十二支像を写し取る乾拓体験が人気を呼んでいます。

キトラ古墳の石室には、二上山で採れた凝灰岩が使われています。飛鳥石などに比べると、軽くて運搬にも適した石材です。キトラ古墳の閉塞石に目を凝らせば、所々に色の変わった箇所が見られます。マグマによってガラス化したものが混じっているという説明でした。

古墳の形

再び展示室の中に戻ります。

古墳の形状展示ですね。

手前から上円下方墳、円墳、方墳、前方後円墳が並びます。ちなみにキトラ古墳は二段築成の円墳です。

上円下方墳

上円下方墳の案内。

方墳の上に円墳を載せたような珍しい形。古墳時代の終わり頃に造られました。石舞台古墳はこの形と考えられています。

なるほど、石舞台古墳は上円下方墳だったのですね。今までは単純に方墳だとばかり思っていましたが、厳密には「上円下方墳」に分類されるようです。覆われていたはずの封土が失われ、石室が剥き出しになっていますよね。丸い円墳状の封土の中に、飛鳥石で造られた石舞台古墳の石室がある。そう考えれば良いのでしょう。

渡来人の暮らしぶり

当時の渡来人たちの暮らしぶりが展示されていました。

立体模型はありがたいですね。

キトラ古墳の築造に関わったとされる渡来系の人々の暮らしがよく分かります。野焼きの窯を使って、器作りに勤しむ様子が描写されます。原始的な方法ですが、かえって新鮮に映ります。

竪穴式の家

竪穴式の家

飛鳥で暮らした渡来人たちは、このような家に住んでいたのですね。まるで土俵のように土が盛り上がっているのが確認できます。

渡来人の住まい

竪穴式の家と、掘立柱の家(大壁構造の家)。

縄文時代から続く、地面を掘り込んで床面とし、そこに柱を立てて屋根をかける構造の「竪穴式の家」と、地面を床面とし、そこに柱を立てて壁を造り、その上に屋根をかけた「掘立柱の家」の2種類の家があったと考えられています。どちらの家の柱も、直接地面に穴を掘って立てていました。「掘立柱の家」のひとつとして、大壁構造の家もありました。

渡来人の器作り

器作りの様子も解説されています。

飛鳥時代には、弥生時代の土器の流れをひく土師器と、古墳時代に作り方が伝わった須恵器が作られていました。野焼きで作られた土師器は赤く柔らかい土器でした。野焼きとは、平地に浅いくぼみを掘って土器と燃料を入れ焼く方法です。

渡来人といえば、檜隅寺ですよね。

四神の館から寺跡に当たる於美阿志神社へは徒歩圏内です。高松塚古墳を望む休憩所も近くにあります。それでは、そちらへも足を延ばしてみることに致しましょう。

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