柿本寺跡の石室天井石

柿本人麻呂の遺骨を葬ったとされる歌塚。

その歌塚の東側に、古墳石室の天井石が佇んでいます。

柿本寺跡の石室天井石

柿本寺跡の石室天井石。

柿本寺跡は柿本氏の氏寺で、礎石の一部が今も残されており、奈良時代の瓦が出土したことでも知られます。古墳石室の天井石ということは、ここが古墳の一部であったことがうかがえます。

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東大寺山古墳群の和邇下神社古墳

この辺りは、赤土山古墳と共に東大寺山古墳群の中の一つに数えられる和邇下神社古墳の域内とされます。

奈良市南方の和爾付近の古代地名を和珥坂(わにさか)と言いますが、和珥坂は和邇坐赤坂比古神社の鎮座地として知られます。その和珥坂から少し南方に下った場所に和邇下神社が鎮座しています。

柿本人麻呂肖像画と天井石

柿本人麻呂の肖像画と天井石。

万葉歌人の人麿の伝承地は全国各地に見られますが、奈良県内にもここ柿本寺跡をはじめ、葛城市の柿本神社、橿原市の人麿神社等々があります。ハイキングロードで有名な山の辺の道沿いにも、柿本人麻呂の万葉歌碑を目にすることができます。

柿本寺跡の案内

柿本寺跡の案内が出ていました。

歌聖柿本人麿の遺徳を追慕して、故地に堂塔伽藍を建立せり

いつも思うことなのですが、柿本人麻呂の名前の表記には「人麻呂」と「人麿」がありますよね。どういう使い分けがされているのでしょうか。何気ない疑問が付きまといます(笑)

柿本人麻呂の歌塚

柿本人麻呂の歌塚。

現在の石碑は1732年に建立されており、和邇下神社古墳の陪塚の一つと考えられています。歌塚の左手には人麻呂の像が建っていて、その周りを蛙や兎の石像が取り囲んでいます。歌塚の前はゲートボール場になっていて、休日を楽しむご高齢の方々の憩いの場でもあります。背後には滑り台も見えていますね。

和邇下神社古墳は全長105mの前方後円墳ですが、ちょうどこの歌塚の建つ辺りは前方部に相当します。

古墳石室の天井石

古墳石室の天井石と書かれています。

和邇下神社古墳は4世紀末から5世紀初頭にかけて築造されています。そう考えると、やはりこの天井石は和邇下神社古墳と深い関係があるのではないでしょうか。

和邇下神社拝殿

工事中だった和邇下神社拝殿。

拝殿奥の本殿は重要文化財に指定されており、この機会に見学しておきたかったのですが、今回は残念ながらお預けとなりました。和邇下神社の社殿は柿本寺跡から一段高い場所にあり、古墳の位置関係からいえば、和邇下神社古墳の後円部に相当します。

柿本寺跡の天井石

歴史を物語る天井石。

きちんと管理されているというよりは、やや無造作に置かれている印象のある天井石。天理市から桜井市にかけて広がる全国有数の古墳密集地帯ならではの、自然体の展示法とも言えそうです。

治道宮

治道宮と刻まれた石灯籠。

和邇下神社へ続く石段の両脇に建つ燈籠に、「治道宮」の文字を見ます。

治道の「治」はあくまでも好字で、本来の意味は「懇(はり)」だと言われます。土地を切り開いて開墾した歴史がうかがえる地名ですね。

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