法隆寺三経院と三経義疏

法隆寺西院伽藍の西側に、聖徳太子が著した三経義疏に由来する三経院が佇みます。

弁天池の畔の休憩所に腰を下ろし、しばらくの間この建造物に見入っていました。

法隆寺の三経院

国宝に指定される法隆寺三経院。

三経義疏とは、聖徳太子の撰と伝えられる法華経・勝鬘経・維摩経の三経の注釈書の総称です。この三経の中でも、特に印象に残っているのが勝鬘経(しょうまんぎょう)です。飛鳥の橘寺縁起にも出てくる勝鬘経は、橘寺境内の三光石にその伝説を見ることができます。

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夏安居に講義が行われる西室

僧の住まいである西室。その南端部を改造して建てられたのが三経院です。

つまり、南の三経院と北の西室は一つの建物と見ることもできます。法隆寺境内の案内板にも、三経院と西室が並列して記されています。法隆寺の西室では、毎年夏安居(げあんご)の3ヶ月間(5月16日~8月15日)、法華経・維摩経・勝鬘経の講義が行われています。

法隆寺西院伽藍の拝観受付

金堂や五重塔が建ち並ぶ西院伽藍の拝観受付。

中門を前にして回廊沿いに西へ進むと、スロープの付いた拝観受付が見えて参りました。

法隆寺の三経院

拝観受付からさらに西へ進むと、右手に三経院が姿を現します。

この場所で夏安居に講義が行われるわけですが、夏安居とは一体何を意味する言葉なのでしょうか?

夏安居は安居(あんご)とも言い、梵語における雨期を意味します。雨期になると、様々な小動物たちが活動を始めます。つまり、その時期の外出は無闇な殺生につながるという考え方から、一定期間外出を控え、一室に籠って修業をするようになりました。雨安居(うあんご)、夏行(げぎょう)、夏籠(げごもり)などとも言います。

そう言えば、日本初の本格的仏教寺院として知られる飛鳥寺の西側の門に「安居院」という表札が掛かっていたことを思い出します。安居院という名前も、僧の籠り修業と関係があるのかもしれませんね。

法隆寺の境内図

法隆寺の境内図。

中心伽藍である西院伽藍の西側に、三経院と西室があります。

地図の北西隅には八角形の形をしたお堂が案内されていますが、峯の薬師と呼ばれる西円堂を指しています。

法隆寺三経院

三経院の西側に回り込んで、南北に長い西室・三経院を確認します。

三経院は鎌倉時代中期の1231年(寬喜3年)に建立されています。歴史を感じさせる国宝建築物に、法隆寺の奥深さを改めて感じます。法隆寺参詣の際には、金堂や五重塔をはじめとする西院伽藍と、夢殿のある東院伽藍に足を向ける人は多いものと思われます。しかしながら、西院伽藍から少し西へ回り込む場所にある三経院や西室、さらには立派な体躯の薬師如来坐像が安置される西円堂にお参りをする人は少ないのかもしれません。

法隆寺観光の穴場スポットとも言えますね。

国宝法隆寺三経院と西室

鎌倉時代の国宝です。

三経院には、それぞれ重要文化財に指定される阿弥陀如来座像、持国天、多聞天立像が安置されています。

法隆寺の瓦

法隆寺の文字が浮かび上がる屋根瓦。

弁天池の畔にある西の休憩所で、番をなさっているおばさんと交わした会話が蘇ります。玉虫厨子に描かれた捨身飼虎の絵はあまりにも有名ですが、仏教には「捨身供養」という言葉があります。修業のために身を三宝に供養し、飢えた虎や狼、獅子などに与えることを捨身供養と言います。

我が身を捨てて、飢えた虎にその身を与える。

究極の道だなぁ、とぼんやり考えながら目の前の三経院を見つめます。

法隆寺三経院と西室

今度は北側から撮影。

三経院では、毎年2月5日に「西遊記」の三蔵法師で名高い玄奘三蔵の遺徳を奉讚する三蔵会も執り行われています。

三蔵法師と言えば薬師寺のイメージが強かったのですが、ここ法隆寺においてもその遺徳が偲ばれています。堺正章扮する孫悟空が大活躍するTVドラマの「西遊記」。私も少年時代には楽しみにしていたものです。今の10代、20代の人たちにとって、三蔵法師は馴染みの薄い人物なのかもしれませんね。

歴史を語り継いでいく。

法隆寺の境内には、その題材が宝の山のように存在しています。

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