神武天皇を祀る大久保神社

神武天皇陵の東側に大久保神社というお社が鎮座しています。

神武天皇陵も初めての訪問でしたが、橿原市大久保町垣内にある大久保神社も初めての参拝でした。

大久保神社の御祭神は、神武天皇と媛蹈鞴五十鈴姫命です。祀られている神様だけを見ると、橿原神宮と全く同じということになりますね。

大久保神社

大久保神社の社号標。

住宅街の中にひっそりと鎮まる神社です。

拝殿は東面しており、後方には道路を挟んで神武天皇陵があります。大久保神社への行き方は、天皇陵前の県道161号線を渡って東へ入ります。しばらく進むと、右へ折れる道が見えてきます。そこを右折して住宅街の中へ入り、さらに右へ曲がった所に鎮座しています。

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天一神(なかがみ)を祀る神社

大久保神社は、元は天一大明神とも呼ばれていました。

天一神(てんいちじん)が祀られていたとのことですが、天一神とはどのような神様なのでしょうか。

大久保神社拝殿

大久保神社拝殿。

天一神は「なかがみ」とも言います。陰陽道において祀られる回り神のことで、暦神の一つとされます。

八方を運行する天一神(なかがみ)は吉凶禍福を司り、悪い方向を塞いで守る役目を果たします。

六十日を周期とし、己酉(つちのととり)の日に天から下って東北の隅に居ること6日、転じて正東に居ること5日というように順次南・西・北を巡り、四隅に居ることそれぞれ6日、四方に居ることそれぞれ5日、全て44日で、癸巳(みずのとみ)に正北から天に上り、己酉の日に再び天から下ります。

天一神が天に居る間が天一天上で、下って地上に居る方角を「塞がり(ふたがり)」と言って忌み、その方角に向かって外出する時は方違へをする風習がありました。

大久保神社鳥居

東北の隅に居ること6日、というフレーズが気になりますね。

神武天皇陵の正式名称は、畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)です。神武陵は畝傍山の東北隅に鎮まります。大久保神社との関係が見え隠れしてきます。

大久保神社境内

拝殿前の木の脇に置かれた石造物。

表面に何か刻まれているのですが、何が描かれているのかは判別できません。

大久保神社の創建は不詳とされますが、この石にはその由緒に迫る秘密が隠されているのでしょうか。

大久保神社の御神木

瑞垣で囲まれた御神木のようなものも見られます。

小さな境内ですが、近隣住民の方々が綺麗に保全されている様子がうかがえます。

大久保神社

「氏子中」と刻まれた石柱が建ちます。

拝殿まで真っ直ぐに石畳が伸びていますね。

かつての大窪村の氏神として祀られた大久保神社。境内の石灯籠には、天和2年(1682)五月の銘が入ったものも見られます。

平安時代には「方塞がり(かたふたがり)」の方角は忌み嫌われました。

現代社会においては、方位を気にするのは恵方巻を食べる時ぐらいかもしれません(笑)

凶と出た方角へ向かわなければならない時には、前夜に恵方の家などに一泊し、方角を一度変えてから目的地へ出向いたと言われます。間にワンクッション挟むことによって、悪い方角も恵方に変換していたというわけですね。

大久保神社にお参りしたなら、方位神のことを一度思い出してみて下さい。

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