橿原神宮大絵馬と迎春準備

今年で58回目を迎える橿原神宮の大絵馬。

随分歴史のあるジャンボ絵馬だったのだなぁと、改めて感じ入ります。11月末まで飾られる予定で、ほぼ一年近くに渡って外拝殿前に陣取ることになります。巳年の大絵馬は「み」の字を描いて話題になりましたが、酉年の大絵馬は可愛らしさが際立ちますね。

橿原神宮の大絵馬

酉年を祝う橿原神宮の大絵馬。

真上には「開運」の文字、平成29年丁酉之歳と記されます。

2017年度は丁酉(ひのととり)の歳に当たります。丁酉とは?そもそも、丁(ひのと)には「力強い」という意味が込められています。ヒノトは「火の弟(おと)」であり、丁(てい)は成年男子や壮年男子にも通じます。血気盛んな男子を「壮丁(そうてい)」と表現することからも、丁に込められた意味合いが理解できるのではないでしょうか。さらに、酉は酒壺の形に由来しています。「酒」からさんずいを取れば酉になり、熟する、出来上がるなどの意味を表すことになります。

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金鵄が止まった登美の瑞光伝説

大絵馬の掲げられる外拝殿前にテントが張られていました。

中を覗いてみると、神武天皇の東征物語が絵付きで解説されていました。本殿参拝の特別拝観日にも、東征エピソードを絵で追った記憶が蘇ります。橿原神宮は初代神武天皇を祀るお社です。初詣の時期に、改めてその歴史を振り返ってみるのも意義あることではないでしょうか。

橿原神宮外拝殿と大絵馬

橿原神宮外拝殿と大絵馬。

警護するガードマンが、ちょうど真正面に写り込みます(笑)

登美の瑞光(金鵄)

こちらが登美の瑞光伝説。

神武天皇の弓の先に止まっているのが、そのシンボルである黄金の鵄(とび)です。近鉄大和八木駅前に行けば、今も ”金鵄像” としてその雄姿を見ることができます。

登美の瑞光(金鵄)

登美の瑞光(金鵄)。

磐余彦尊(いわれひこのみこと)の兵たちは、再び長髄彦(ながすねひこ)の軍と戦いましたが、あまりにも強くてかなり苦戦していました。すると急に黒雲が空を覆い、あたりも暗くなり、叩きつけるように雹がふってきました。そのとき暗い大空の彼方から、さあっと一筋の光がさしたかと思うと金色の鴟が磐余彦尊の弓の先に止まり、さんぜんと光り輝きました。賊軍の兵たちは、稲光りのように目を射られました。まぶしくて目もあけられず、ついに長髄彦の軍は降参してしまいました。

ナガスネヒコとの戦いにおいて、金色の鴟が活躍した様子が描写されます。登美の瑞光には13の番数が振られていますが、その場面場面において活写された絵が理解の手助けになっていました。

橿原神宮のとんど

焚火の用意でしょうか。

この日は雨が降っていたので地面が濡れていますね。毎年初詣のシーズンは寒さの厳しい奈良盆地・・・大神神社などでも、初詣の時期は祈祷殿前で火が焚かれます。

橿原神宮一之鳥居

橿原神宮一之鳥居。

広大な境内だけに、その鳥居も大きくて立派です。

橿原神宮表参道

表参道には細い縄が敷かれていました。

うん?これは参拝客が歩く参道と露店を仕切るラインなのでしょうか。

橿原神宮の迎春準備

電気コードも準備万端整っており、コンセント部分にはビニール袋が被せられていました。

大晦日から元旦にかけては夜を徹して賑わうエリアとなります。

若桜友苑の絆の錨

この日は若桜友苑(わかざくらゆうえん)まで足を伸ばしてみました。

絆の錨と案内されています。平成8年頃に海上自衛隊から寄贈された錨で、実際に旧帝国海軍で使われていた本物の錨です。錨の横に句碑が建っていますね。

錨に生きた若桜 残る桜も散る桜

かつての戦争の記憶を留める若桜友苑は、橿原神宮のもう一つの顔でもあります。

橿原神宮の上空写真

橿原神宮の航空写真。

鬱蒼とした杜に包まれる橿原神宮ですが、こうして上空から見下ろせばその配置がよく分かりますね。背後の畝傍山との位置関係、一之鳥居から続く表参道やその右横の駐車場、山麓に水をたたえる深田池・・・普段の参拝では知り得ない視覚情報です。

橿原神宮と畝傍山

いつもはこんな感じで見えるだけですよね(笑)

背後の畝傍山の少し傾げた表情が印象に残ります。

橿原神宮の大絵馬

鶏の夫婦を描いた大絵馬。

高さ4・5m、幅5・4mの大きさで、畳14枚分に相当します。実際に授与される絵馬の約1600倍サイズとのことで、いかにジャンボサイズであるかが分かります。この大絵馬の前に立って、今年も数多くの記念写真が撮られることでしょう。初詣シーズンは言うまでもなく、成人式、結婚式、神武天皇祭、昭和祭、夏越大祓、献燈祭、秋季大祭、お宮参り、七五三、新嘗祭と様々なシーンにおいて活躍することが期待されます!

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