弥勒石と蓮華畑@明日香村

飛鳥の蓮華畑。

春爛漫の明日香村を彩るレンゲ畑は、原風景が残るこの地を象徴しています。レンゲの見頃は4月中旬から5月上旬とされ、飛鳥寺周辺や稲渕、栗原エリアで見ることができます。のんびりとした風景に身をゆだね、時間の経つのも忘れて楽しんで参りました。

飛鳥の蓮華畑

明日香村の蓮華畑。

飛鳥京観光協会の冊子に目をやると、明日香村に咲く花々が案内されていました。

石舞台古墳や甘樫丘に咲く桜、岡寺の石楠花、稲渕の蓮などと共に飛鳥寺周辺のレンゲが特集されています。

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飛鳥川畔の弥勒石背後に広がるレンゲ畑

飛鳥寺周辺の蓮華草も見事だったのですが、それに負けず劣らず満開だったのが弥勒石周辺です。

飛鳥の弥勒石といえば、アノのっぺらぼうに近い風貌で知られる石造物です(笑)

飛鳥の弥勒石

明日香村大字岡にある弥勒石。

飛鳥寺の南西方向、飛鳥川の右岸にひっそりと佇む巨石です。

この弥勒石の右後方に、紫色に染まるレンゲ畑が広がっていました。

飛鳥の蓮華畑

蓮華草は小さな花ですので、近づいて見る機会があまりありません。

こうやって接近してみると、思いの外綺麗な花であることに気付かされます。

そもそもレンゲとは、花の形状が蓮の花に似ていることから「蓮華草」という名前が付いています。別名を紫雲英(げんげ)と言うそうです。レンゲは中国原産で、マメ科の二年草とされます。確かに言われてみれば、蓮の花を思わせる出で立ちですね。蓮のミニチュア版といったところでしょうか。

弥勒石周辺の蓮華畑

弥勒石の後方から、飛鳥川沿いに上手へと向かいます。

進行方向の左側に一面の蓮華畑が広がっています。

飛鳥寺と蓮華畑

振り返って飛鳥寺の方向を望みます。

いや~、お見事ですね!

蓮華畑の彼方に目を凝らすと、飛鳥寺本堂の屋根瓦が見えています。薄紫と緑のコントラスが実に美しく映えます。

飛鳥寺のツツジ

飛鳥寺本堂の手前に咲いているのはツツジでしょうか。

色鮮やかに開花し、飛鳥大仏の御前を艶やかに彩ります。

飛鳥の蓮華畑

蓮華草をカメラの構図に収めていると、大和三山を背景に咲く藤原宮跡の蓮を思い出します。

ちょうどあの夏の光景が蘇ってくるのです。

今、私の目の前に咲いているのはレンゲの花なのですが、その姿形がハスの花と重なります。蓮華草とは、まさしく言い得て妙ではないでしょうか。

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大和平野土地改良区の飛鳥第一頭首工

レンゲ畑のすぐ上手に、大和平野土地改良事業の一環である飛鳥第一頭首工がありました。

頭首工(とうしゅこう)って

一体何を意味する言葉なのだろうと思って調べてみたら、湖沼・河川などから用水を取り入れる農業水利施設の総称と案内されていました。

十津川・紀の川総合開発計画の一環として、大和平野地域や紀伊平野地域の農業用水を補給するために、水源施設として大迫、津風呂、猿谷(旧建設省施工)山田の4ダムをはじめ、頭首工、導水路、幹線水路等が国営土地改良事業として建設されています。飛鳥川と密接に繋がる地域住民の暮らしがうかがえますね。

飛鳥第一頭首工

管が通っています。

水が引かれているのでしょうか。

飛鳥第一頭首工と蓮華畑

蓮華畑のすぐ横に、現代的な水利施設が備え付けられていました。

この場所に水路が確保され、肥料にも使われていたという蓮華草が育っている・・・何かお互いに、つながりのようなものが感じられますね。

大和平野土地改良区

奈良県大和平野土地改良区の立看板。

不法投棄を戒める注意書きですね。此処は人々の暮らしと密接につながる大切な場所であることを忘れてはなりませんね。

飛鳥第一頭首工

私は以前、この石橋を渡って川原寺跡や橘寺まで徒歩で向かったことがあります。

飛鳥川に架かる頭首工の橋だったとは、当時は気にも留めていませんでした。

飛鳥第一頭首工

上流から下流の方向を見ます。

橋の下で一段、二段と段差が付いており、結構な勢いで水が流れています。

飛鳥川

小さな瀧のように水がほとばしります。

遥か上流の稲渕地区には、今も万葉時代の面影を残す飛び石が見られます。恋人との距離を飛び石で描写することによって、見事にその心情を言い表しています。ここに飛び石はありませんが、その清冽な流れを感じ取ることはできます。

飛鳥第一頭首工の操作室

飛鳥第一頭首工操作室と書かれていますね。

このコンクリートの建物内で、水路のコントロールが行われているのかもしれません。

ハルジオンと蓮華畑

これはハルジオンでしょうか。

春紫苑(ハルジオン)と姫女苑(ヒメジョオン)の違いはいつも話題になりますよね(笑) 見分けの付きにくい両方の花ですが、開花時期から推測するにハルジオンではないかと思われます。

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弥勒石と飛鳥川、その深い関係と歴史

頭首工の水利施設から下流に下って来ると、謎の石造物・弥勒石があります。

弥勒石がこの場所に祀られているのも、それなりの理由があるようですのでここにレポートしておきます。

飛鳥の弥勒石

鈴緒を前にする弥勒石。

わずかではありますが、目と口の窪みが確認できます。

しかし、それにしても表情が読み取りづらいですね。なぜこのように摩滅してしまっているのでしょうか?よくある撫で仏のように、数多くの人に撫でられることによって擦り減ってしまったのでしょうか。

一つの説ではありますが、この疑問を説くあるお話が伝わっています。

飛鳥の弥勒石

弥勒石はかつて、飛鳥川の中にあったのではないかとする逸話が伝わっているのです。

弥勒石はその昔、飛鳥川の水を導く役割を担った巨石であるとする説です。

飛鳥川といえば、古来幾度となく氾濫を繰り返した流れの激しい川でもあります。飛鳥の地に文化が発展したのも飛鳥川の存在を抜きには語れません。人々の営みの中で、どれだけこの飛鳥川が大切な川であったかが推測できます。

その飛鳥川を少しでも人の役に立つように、その流れをコントロールしようとしたのではないでしょうか。そして、そのために手も足も無いこの寸胴の巨石を川の中に置いた。そう考えることはできないでしょうか?葛城市の角刺神社境内にも分水石が残されていますが、ひょっとすると弥勒石も同じような役割を果たしていたのかもしれません。

この場所から少し上流には飛鳥第一頭首工の設備が見えています。

弥勒石の草履

無数の草鞋が弥勒石を囲む祠に掛かります。

飛鳥川の中で踏ん張る弥勒石・・・

そんなある日、近くを通りかかった村民が弥勒石を可哀想に思って川から引き上げたというではありませんか。その引き上げた日が陰暦の8月5日だったと言います。今でも毎年この日を記念日とし、お米などをお供えして供養しているそうです。旧暦8月5日に、飛鳥大字がお祭りを行っていることが解説板にも記されていました。

今も弥勒石のすぐ傍を飛鳥川が流れています・・・。

弥勒石の休憩小屋

弥勒石の向かって右手前にある休憩小屋。

昔のバス停を思わせる作りですね。

弥勒石の休憩小屋

弥勒石の足のせ石

座布団に腰掛けて、この埋め込まれた石の上に足を乗せるといいようです。以前は屋外のお堂前にあったようですが、休憩所の改装に伴い屋内へ移動しています。

足のせ石に足を置いて祈願します。主に下半身の病気にご利益があるようですが、目の悪い人の願いも叶えてくれるそうです。弥勒石にお参りの際は、是非この足のせ石に足を乗せることを忘れないようにしたいですね。

飛鳥の弥勒石

レンゲ畑を一回りして元の場所に戻って来ました。

弥勒石の大きな背中が視界に入ります。祠に空けられた穴の形が瓢箪型です(笑)

弥勒石の線香

弥勒石の御前には線香が供えられていました。

まだ火が点いているところを見ると、参詣者が立ち去った後なのかもしれません。

飛鳥の蓮華畑

自然の営みの中で、人々の暮らしと共にあった弥勒石や蓮華草たち・・・あぁ、昔っていいなと素直に思えます。

全てが無理なく繋がっていたのですね。

飛鳥の蓮華畑

2015年4月に、明日香村は文化庁が認定する「日本遺産」に認定されました。

「日本国創成のとき~飛鳥を翔けた女性たち~」というストーリーがその認定対象になったようです。

飛鳥時代の幕開けに登場した推古天皇をはじめ、藤原京の持統天皇なども飛鳥時代を代表する女傑として知られます。おそらくそんな飛鳥時代の女性たちも蓮華畑を目にしていたのではないでしょうか。

明日香村の蓮華畑

時代を超えて咲き続ける花。

そして、時代を超えて見守られてきた弥勒石。

飛鳥の弥勒石

今も弥勒石を撫でて祈願する人が後を絶ちません。

おそらくこれからもずっと、人々に寄り添ってずっとこの場所に居続けるのでしょう。

何だか壮大なドラマを見るようでもあります。思えば飛鳥寺の飛鳥大仏も、ずっとあの場所に居続けているのです。日本最古の仏像は露天に晒された期間もあったと云います。それでもなお、人々の信仰に支えられて今に至っています。やはりこれはスゴイことですよね。

弥勒石の草履

レンゲの花は5月も中頃になれば見られなくなります。

しかしながら、また年が改まれば同じ時期に私たちの目を楽しませてくれます。花ってすごいですよね。そこに組み込まれたメカニズムは神のみぞ知ることなのかもしれません。

足の病にご利益があるという弥勒石。

その祀られている場所には、今まで知り得なかった様々な事情があるようです。

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