桜井市のコロコロ山古墳

奈良県桜井市谷にコロコロ山古墳という古墳があります。

その名前からして一度は訪れてみたいと思っていましたが、休日の空き時間に足を運んで参りました。場所はメスリ山古墳のすぐ近くです。メスリ山古墳は「巡り(めぐり)山」に由来するのではないかと言われますが、そのメスリ山古墳の周囲を巡ろうとした時に発見致しました。

コロコロ山古墳

民家のすぐ近くに佇むコロコロ山古墳。

開口部の前に立つと、民家二階のベランダと目が合ってしまいます(笑) コロコロ山古墳は1984年のメスリ山古墳発掘調査の際に発見されています。その翌年に発掘調査が行われ、6世紀後半の豪族の墓であることが判明致しました。発見から3年後の1987年に、現在の場所に移設されています。

保存のために場所を移した古墳、それがコロコロ山古墳なのです。

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フェンス越しに横穴式石室を見学

コロコロ山古墳は見学自由なのですが、残念ながら石室の中に入ることは出来ません。

以前は出入も自由だったようなのですが、今はフェンス越しにしか見ることができません。その点、近くの谷首古墳ほどの高揚感は得られませんでした。

歴史街道の道標

寺川沿いに車を停め、徒歩でコロコロ山古墳を目指します。

アクセスの途中で聖徳太子ゆかりの上之宮遺跡を通過します。そこから東西を通る車道を渡って緩やかな坂道を上って行くと、メスリ山古墳、コロコロ山古墳へと辿り着きます。行き方に迷ったら、道路沿いにある道案内に従えば問題ないものと思われます。

コロコロ山古墳

これがコロコロ山古墳です。

開口部の向かって左側に巨石が見えますが、果たして何かの役割を担っていたのでしょうか。発見された当初から玄室の天井石は失われていたと言います。移築保存の際には、コンクリートの天井が取り付けられているのが現状です。この巨石が天井石の一部だとしたら、それはそれでロマンを感じますね。

開口部の方向である南側には二重フェンスが張られていました。

コロコロ山古墳

フェンスの上にカメラをかざして撮影します。

中の様子はわずかに伺えるのみです。

コロコロ山古墳のフェンス

厳重に管理されています。

コロコロ山古墳は一辺30mの方墳とされます。墳丘中央にある横穴式石室が主体ですが、その他東側にも小さな横穴式石室が確認されています。

コロコロ山古墳のフェンス

フェンスがちょっぴり痛々しいですね。

石室タイプは両袖式横穴式石室です。全長は11mに及び、玄室の長さ5.35m・幅2.3m~2.5m、羨道の長さ5.65m・幅1.45m~1.8mのサイズです。玄室部の床面には二層構造が見られ、追葬が行われた事をにおわせます。

横穴式石室はその構造からみても、追葬向きであることが分かります。

コロコロ山古墳

墳丘の玄室方面には石垣が積まれていました。

これはおそらく移築保存の際に整備されたものではないかと思われます。

コロコロ山古墳

古墳の背後を多くの人が行き交います。

近隣住民の方でしょうか、犬を連れて散歩なさっている姿を見かけました。

コロコロ山古墳

コロコロ山古墳の築造年代は6世紀末から7世紀初頭ではないかと推測されます。

被葬者は謎のまま残されていますが、阿部氏ゆかりの地ということもありその関連性が注目されます。

コロコロ山古墳

ぐるりとコロコロ山古墳の周囲を巡ります。

コロコロ山古墳の副葬品は桜井市立埋蔵文化財センターにおいて展示されています。卑弥呼にまつわる桃の種の展示品で知られる埋蔵文化財センターですが、コロコロ山古墳の副葬品も展示されていたんですね。金銅製刀子は特におすすめです。7世紀末頃の追葬時の副葬品とされ、我が国初の蛇行した刀子(とうす)であると言われています。

コロコロ山古墳の開口部

コロコロ山。

実に不思議な名前ですが、この地に住む人々がそう呼んでいたということです。

ちょっとした丘陵地ですから、山手からコロコロと何かが転がって来たのかもしれません(笑)

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