牽牛子塚古墳の閉塞石

明日香村埋蔵文化財展示室に牽牛子塚古墳の閉塞石(へいそくせき)が展示されていました。

複製などではなく、本物の閉塞石です。

牽牛子塚古墳の閉塞石

牽牛子塚古墳の閉塞石。

閉塞石とは、お墓の入口である羨門を塞ぐ扉石のことを指します。木製の扉で閉鎖されることもあったようですが、やはり頑丈な石の方が安心感があります。この石の向こうの玄室に、天智天皇や天武天皇の母に当たる斉明天皇が葬られていたのでしょうか。

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越塚御門古墳の復元模型も展示

明日香村埋蔵文化財展示室の入口からすぐ左側に、八角墳として知られる牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の復元模型が展示されています。大きな牽牛子塚古墳の手前に、小さな越塚御門古墳が見えました。

牽牛子塚古墳と越塚御門古墳

牽牛子塚古墳と越塚御門古墳。

数年前に近鉄飛鳥駅の西側で牽牛子塚古墳の発掘調査が進められていた頃のことを思い出します。平城遷都1300年祭の忙しい一年が過ぎ去ろうとしていた2010年の12月9日に、牽牛子塚古墳に隣接する南側で越塚御門古墳が発見されました。

牽牛子塚古墳と同じ明日香村大字越にある越塚御門古墳は、日本書紀の記述から、飛鳥時代の皇族である大田皇女の墓ではないかと言われています。

牽牛子塚古墳の閉塞石

閉塞石の案内プレート。

左上に「飛鳥時代」の文字が見えます。

閉塞石の復元模型

閉塞石(内扉)はこんな感じで使われていたようです。

復元模型によって、より具体的なイメージが湧いて参ります。

牽牛子塚古墳閉塞石の穴

所々に割れた跡があり、数か所の穴が開けられているのも確認できます。

運搬の際にロープ上のものを通した跡なのでしょうか、それとも何かの装飾のために開けられた穴なのでしょうか。

飛鳥寺の梅

明日香村埋蔵文化財展示室から徒歩5分ほどの距離にある飛鳥寺境内。

本堂前に梅の花が開花していました。

ほのかに香る春を満喫します。

牽牛子塚古墳の石槨名称図

牽牛子塚古墳の石槨(せっかく)名称図。

ガイドの方のお話では、閉塞石は凝灰岩で作られているようです。二上山が噴火して出来た凝灰岩は、比較的柔らかく加工に適していたそうです。精巧にくり抜かれた穴を見ると、確かに頷けますよね。

牽牛子塚古墳の写真

写真パネルも展示されていました。

越塚御門古墳

牽牛子塚古墳に隣接する越塚御門古墳の復元模型。

牽牛子塚(けんごしづか)とは、どこか印象に残る名前の古墳ですよね。牽牛子(けんごし)は薬用植物として扱われていたアサガオの種の芽になる部分のことを言います。奈良時代末期に、遣唐使が朝顔の種子を薬として持ち帰ったのが始まりとされます。朝顔の種子を乾燥し、下剤として利用されていた歴史があります。

古語辞典を紐解いてみると、朝顔の異称として牽牛子(けにごし)と表記されています。

越塚御門古墳の石槨復元模型

越塚御門古墳の石槨復元模型。

明日香村埋蔵文化財展示室の復元模型

牛を牽引して行き、交換の謝礼としたところから牽牛子と呼ばれるようになりました。

牛と等価交換できるほど、朝顔の種は貴重な物だったのかもしれません。斉明天皇の墓と言われる牽牛子塚古墳が、なぜ朝顔の種と結び付いているのか、その辺りの事情は定かではありませんが、牽牛子塚という名前の由来の一端に触れることができたような気が致します。

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