唐招提寺開山堂の御身代わり像

鑑真和上坐像の特別開扉日。

毎年6月5日、6日、7日の3日間だけ、静かに瞑想する鑑真和上の姿を拝むことができます。場所は唐招提寺の開山御廟にも近い御影堂です。特別開扉日以外にも、鑑真和上の遺徳を偲ぶ御像を拝めないか、そんな参拝客の願いに応えてくれる場所が唐招提寺にはあります。

唐招提寺本坊から講堂の裏手を東へ進むと、鑑真大和上の御身代わり像が安置される開山堂があります。

唐招提寺開山堂

唐招提寺開山堂。

礼堂の北側の一段高い場所に佇みます。

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平成25年落慶の開山堂

4,5年前に唐招提寺を訪れた時にも開山堂にお参りしましたが、その時はまだ昔のままの鄙びた感じでした。開山堂の手前左側には、松尾芭蕉の句碑「若葉して御目の雫ぬぐはばや」が残されています。

苦難の航海の末に来日を果たした鑑真和上には、その身に起こった失明の労苦が今に語り継がれています。鑑真和上の目は見えていたという説も浮上しているようですが、今となっては確かめる術もありません。

唐招提寺本坊の蓮

唐招提寺本坊に咲く蓮。

唐招提寺南大門を抜けると、真正面にご本尊が安置される金堂があります。金堂前を左へ折れて進むと、異国情緒を感じさせる戒壇が控えています。南方から戒壇を眺め、蓮池に咲くハスの花を見ながら、今度は東の方角からも戒壇を眺めます。しばらくの間戒壇に見入った後、北へ進んで本坊の門をくぐります。

丸い鉢の中に様々な種類の蓮が育てられていました。

唐招提寺開山堂の道案内

本坊を出て、境内を東へ進みます。

しばらくすると、右手に開山堂の場所を案内する立札が見えて参りました。

唐招提寺の屋根瓦

四角く塀に囲われた場所に開山堂は佇みます。

屋根瓦に唐招提寺と刻まれていますね。真ん中の文字は、律宗や戒律を表す「律」でしょうか。

唐招提寺開山堂の塀

コンパクトに塀に囲われています。

金堂、講堂、鼓楼といった唐招提寺の中心伽藍よりも一段高い場所に建つ開山堂。

唐招提寺開山堂

開山堂の中に、鑑真大和上御身代り像が安置されています。

開山堂の歴史は古く、元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立されています。その後、明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を安置するために現在の場所へ移築されました。

国宝の鑑真和上坐像が御影堂へ移された後は、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として参拝されていました。

鑑真大和上御身代わり像

開山堂前に身代わり像の案内が出ていました。

以下に抜粋させて頂きます。

御身代り像(御影像)は、年間通して数日(例年6月5,6,7日の3日間)しか開扉しない国宝の和上像に代わって、毎日参拝して頂く目的で平成25年に制作したものです。

また、この像は奈良時代の脱活乾漆技法を忠実に踏襲した大変貴重な構造です。

この平成御影像も国宝和上像と同じく、大和上の遺徳を永く伝えていく拠所となります。

鑑真大和上円寂から1250年になる平成25年(2013)、大和上のお姿を写した御身代わり像(おみがわりぞう)が造られ、再び開山堂として落慶に至りました。

いつでも会える鑑真様。

鑑真和上坐象の特別開扉日には参拝客が殺到します。その希少性に重きが置かれていた感のある鑑真和上像ですが、気楽にいつでも拝むことの出来る尊像も価値が高いものと思われます。

唐招提寺開山堂からの光景

開山堂から講堂、金堂、鼓楼、礼堂を見下ろします。

境内の位置関係からも、開山堂の重要性が垣間見えるような気が致します。

唐招提寺開山堂の木鼻

開山堂の木鼻越しに鼓楼を望みます。

唐招提寺のお土産物で人気のハート形うちわは、毎年5月19日に執り行われるうちわまき行事に因んだお土産物ですが、その伝統行事の舞台が鼓楼です。

仏の道は殺生を厭います。

お寺に奉仕する住職たちの食事風景は一般家庭のそれとは異なります。アニメのサザエさんをはじめとする一家団欒の風景に慣れ親しんでいる私たちにしてみれば違和感を感じるのですが、お寺での食事風景には会話が無いのです。

食事には殺生が付き物です。有難い命を頂いている、そのことを噛み締めながらの食事ですから、食事も修行の一環になっていることが分かります。

唐招提寺のうちわまきの由来にも、興味深い話が伝わっています。

唐招提寺の中興の祖・覚盛は蚊に刺されても、「蚊に血をあげるのも仏の道」と蚊を殺さなかったと言い伝えられます。そんな信心深い覚盛に、法華寺の尼さんたちが団扇を贈ったことがうちわまきの起源とされています。

唐招提寺開祖の鑑真も、同じく殺生を嫌ったのでしょうか。

唐招提寺の歴史の出発点にいる鑑真大和上。その御身代り像を拝する開山堂へ足を運んでみられることをおすすめ致します。

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