家形石棺の形の変遷@橿原考古学研究所附属博物館

蓋石が屋根の形をしている家形石棺。

古墳時代後期に多く見られる棺の形として知られます。橿原考古学研究所附属博物館の「さまざまな棺」コーナーに縄掛突起(なわかけとっき)の付いた家形石棺が展示されていました。

家形石棺

橿考研博物館に展示中の家形石棺。

補強のためか、針金のようなものが張られていました。

奈良県桜井市は横穴式石室の宝庫とも言われますが、私も何度か石室の中に納められた家形石棺を見学して参りました。展示コーナーの説明によると、作られた時代によって形に違いがあるようです。

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縄掛突起の位置と頂部平坦面に注目

家形石棺を見たら、まずは縄掛突起の位置に注目してみて下さい。

石棺の突出部に当たる ”縄掛突起” の付く位置が、時代を経るに従って徐々に下方へ移動していることが分かります。なぜこのように変化していったのか、その理由までは解説されていませんでしたが、確かにその変化は見て取ることができます。

家形石棺の形の変化

東乗鞍古墳、市尾墓山古墳、都塚古墳と時代を下るに従い、縄掛突起の位置が下方にずれています。それと共に、蓋石の頂部の平坦面も広くなっているのが分かります。

山の辺の道近くにある東乗鞍古墳

古墳時代後期の前方後円墳ですが、昨年度の秋に石室探検に出掛けた日のことを思い出します。ドキドキしながら入った横穴式石室の中に、家形石棺と組合式石棺の底石が残されていました。中が暗かったこともあり、縄掛突起のことまでは気にしていませんでした。

改めてこうやって見ると、割と早い時代の家形石棺であることが確認できます。

家形石棺の形の変化

「家形石棺の形の変化」が案内されています。

時期が下るとともに、蓋石の縄掛け突起のつく位置が低くなり、頂部の平坦面が広くなる。

家形石棺の縄掛け突起

これが縄掛突起です。

石棺の ”耳” のような部分ですが、縄掛けという名の通り、運搬の際にここに縄を通したのでしょうか。

赤坂天王山古墳と艸墓古墳

西暦600年を境に、その前後の赤坂天王山古墳と艸墓古墳が案内されています。

もうこの辺りになると、蓋石頂部の面積がかなり広くなっていますね。

艸墓古墳の築造年代は特定されていませんが、家形石棺の形状を見る限り、終末期の古墳であることに間違いはないでしょう。

イワミンマーキングクリップ

ミュージアムショップで購入したイワミンのマーキングクリップ。

イワミンは石見遺跡出土の埴輪をモチーフにした、橿原考古学研究所附属博物館のマスコットキャラクターです。古墳型のクリップも販売されており、どちらにしようか迷ったのですが、今回はオリジナルキャラクターの誘惑に負けてしまいました。

橿原考古学研究所附属博物館展示の家形石棺

この家形石棺もおそらく本物だと思われます。

どこの古墳のものだったか、残念ながら忘れてしまいました。橿考研ミュージアムは基本的に本物志向です。レプリカの展示で良しとする博物館が多い中で、あくまでも本物の展示にこだわりを見せます。

家形石棺の形の変化が分かる展示コーナーは、第2展示室と第3展示室の間にあります。

通路沿いには中庭を望むベンチが置かれており、休憩場所にもなっています。第2展示室の「藤ノ木古墳の時代」から「ヤマト王権の展開」を過ぎ、第3展示室の「飛鳥の宮」コーナーへと向かう途中に位置しています。

古墳にご興味をお持ちの方は、是非見所の一つとして押さえておかれてはいかがでしょうか。

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