演説の仏教的意味合い

衆議院解散で選挙戦へと突入していきます。
選挙で思い浮かべるのが、候補者による演説。
演説って仏教の言葉だったんです。

仏教語の演説

演説が仏教語だったとは。
ちょっと意外ですよね。

政治の世界と仏教は、頭の中でなかなか結び付きません。
政治のことを ”政(まつりごと)” と言います。
その意味では、祭事・祭礼との深い関わりをうかがい知ることは出来ます。

神様との関係なら何となくイメージはできますが、仏様との関係となると・・・

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深い真理を説く演説という言葉

壷阪寺の仏伝図レリーフには、修行で痩せこけたお釈迦様が描かれています。

仏教では、教えを演べ説く(のべとく)ことを演説と言っています。

歴史上の様々な仏典にも演説という言葉が出てきます。
お釈迦様が真理や道理を人々に説き明かしていく・・・

苦難の末にたどり着いた珠玉のような真理を説きながら旅をする。

決して軽々しいものではなく、そこには重い真理があるのです。
票を獲得するためだけの演説は演説ではないのですね。

壷阪寺ではお釈迦様入滅の像を拝観することができます。

釈迦入滅の際には、多くの人々が嘆き悲しみました。
動物たちも深い悲しみに襲われたと伝えられます。

真実を追い求め、それを説き明かしていくことに全身全霊で打ち込んだお釈迦様。
演説の意味するところは、そんなに簡単なものではないようです。

街頭演説での公約は、より具体性を持ったものにして頂きたいですよね。絵に描いた餅には辟易してしまっている有権者たち・・・筋書き通りの人気取りに躍らされないよう、私たち有権者サイドにも注意が必要です。
演説そのものをよく噛みしめて、拝聴してみることをおすすめ致します。

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